神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

ワンダーウーマンはなぜ鎖に繋がれるのか~「ワンダーウーマン 秘密の歴史」読破中~

 先日も話題にした、アクションヒロインの金字塔『ワンダーウーマン』。その“誕生”のいきさつについて記述した「ワンダーウーマン 秘密の歴史」(ジル・ルボール 著 鷲谷花 翻訳)という本を読んでいる。この本は、ハーバード大学の教授が書いたもので、ワンダーウーマンの誕生秘話といいながら、その殆どがワンダーウーマンではなく原作者ウイリアム・モールトン・マーストンの人となりや、彼を取り巻く人間模様について、彼の幼少期から時系列に描いた内容で、もう半分以上読み終えたが、まだワンダーウーマンの誕生までたどり着いていない。しかし今まで読んできた内容だけとっても、いくつか「ワンダーウーマン」の“IF”について答えが用意されていた。

 


 原作者のマーストンは、今でいうところの「嘘発見器」の開発に深くかかわったことで有名な人物である。ワンダーウーマンの有名な武器に「真実の投げ縄」(Lasso of Truth)という不思議なアイテムがあるが、どうもそのアイディアは、彼が心血を注いだ「嘘発見器」にそのルーツがあるらしい。また、彼や妻であるホロウェイ、そして、奇妙な同居人となるオリーヴ・バーンも含め、皆フェミニストとしての一面を持っており(オリーヴの場合、実母や叔母の影響で)、ワンダーウーマンは男たちを惹きつけるセクシーなヒロインとしてではなく、女性の解放を目指すフェミニストの代表という側面を持っていたようだ。

 

 ここまで書くと原作者のマーストンはなかなかの人格者のように見えるが、読み進んでいくうちに、彼の化けの皮がはがれていくというか、実は人間性を疑いたくなるような人物であることが炙り出されてゆくこととなる。

 

 マーストンは学生時代から「嘘発見器」の研究に没頭し、それなりの試作機を開発するものの、彼のフェミニストぶりとは対極の思想の教授に冷遇されたり、自作の「嘘発見器」での調査結果が裁判に採用されなかったり(その上、裁判官からは研究自体を法廷で否定されたり)するなどの不遇時代を送ったが、反面、仕事も長続きせず、家計を妻のホロウェイが一気に引き受けるという生活を送っていた。しかも、講師時代の教え子であるオリーヴ・バーンを妻と暮らす家に同居させ(それを妻に納得させ)、あろうことか彼女との不倫の果てに私生児を出産させるという破廉恥な行為を行っていた。その結果、マーストンは研究と称して自堕落な生活を送り、ホロウェイとの間に生まれた2人とオリーヴとの間に生まれた2人の、計4人の子供をオリーヴが育児し、ホロウェイがかっを支える、という極めていびつな家族生活を送っていた。またマーストン自分の「嘘発見器」を売り込むために、過度なるロビー活動を続けるのみならず、「嘘発見器」の開発者にあるまじき、平気で虚偽発言や虚偽記録を捏造するなど、問題を抱えた人間だった。最初は不遇な天才として同情的に読み始めていたのに、読み進めば読み進むほどマーストンの欠陥だらけで非常識で独善的な人間性はかり目立ち始め、ドキュメンタリーとはいえ、すでに彼に感情移入できないくらいになってしまった。そんな彼を放置したままの2人の“妻”たちも同情に値しないし(子供たちは反抗的)、こんな人たちの手によって「ワンダーウーマン」のキャラクターが確立されたのかと思うと、暗澹たる気持ちになってしまう。

 

 ただ彼らに共通して、前述のごとく「フェミニズム」の精神と、それ以上に「男女平等」を超えて女性こそ男性に勝るという考え方を抱いていて、その部分こそ彼らの“良心”とも言え、それが「ワンダーウーマン」の思想の根底にあるのだと思えは、多少なりとも納得はできるのだが。

 

 そこで表題の「ワンダーウーマンはなぜ鎖に繋がれるのか」について。リンダ・カーター版TVドラマにおいて、彼女は何度も鎖につながれてしまう。特にヒロピン度の高いエピソード「華麗なる逆転(The Nazi Wonder Woman)」では、彼女は縄による拘束の上、ご丁寧に鎖まで掛けられている。また原作(コミック)のワンダーウーマンはそれ以上に、鎖の戒めを受けることが多い。それはある種徹底している。

 


 しかしそれも、興味本位のヒロピンやボンテージ的な側面ではなく、当時アメリカの女性が男性と同様の権利を認められなかったことの比喩として「鎖につながれた女性」と呼んでいたことに起因する。女性は結婚や出産という鎖に縛られ、男性に隷属することを強要されるような、当時の社会を象徴したのが、女性を(そしてコミックではワンダーウーマンを)拘束する鎖だったのだそうだ。

 

 マーストンたちが生きた時代は、今からは考えられないくらい、アメリカ合衆国で女性の権利は踏みにじられていたらしい。それは現代においても、表向きは女性解放の先駆者的な立場を標榜しながら、前々回の大統領選で、初の女性大統領の期待が高まったヒラリー・クリントンが結局“ガラスの天井”を打ち破れなかったように、本当は未だにアメリカ社会の根底に女性の社会進出を望まない思想が根強く残っていることの証なのではなかろうか(その時彼女を破って大統領になったのがあのトランプで、4年後の選挙で男性候補のバイデンに任期半ばで敗北した事実も、ある種象徴的である)それ故、その戒めの鎖をワンダーウーマンが引きちぎることこそ、女性解放の象徴だったのである。ちなみに不思議なこと、女性監督でもあるバティ・ジェンキンス監督による映画版『ワンダーウーマン』で、ガル・ガドット演じるワンダーウーマンが鎖の戒めを受けるシーンはなかった(だったよね?)

 

 ただ本書を半分程度しか読んでいない状況で結論を出すのは難しいし、ある種無責任なことである。また上記の例に挙げた大統領選に関しても、様々な異論はあるだろう。それ故、これから読み進めるにつれて、また新たな事実が判明するかもしれないので、その折には、改めて考証をしていきたい。もっとも、英語の文章の和訳なんで、ちょっと読みづらいところがあって、なかなか読み進められないきらいがある。とはいっても、翻訳は、かのヒロインアクションファンにとっては“バイブル”的な名著「戦う女たち 日本映画の女性アクション」の著作者でもある鷲谷花氏なんだよね(;^_^A