神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

おれ、夕子

 今、娘たちは相も変わらず『鬼滅の刃』に夢中だが、私の方は、あまり漫画には興味がない。本といえば専ら活字が中心で、こっちの方は“マニア”っていうくらい大好き(中毒?)だ(;^_^A

 

 そんな私も、学生時代は漫画にいくばくかの興味を持っていて、藤子不二雄の漫画単行本をいくつか集めたことがある。中でも藤子F不二雄による「少年SF短編集」は好きだった。その小学館版「藤子不二雄少年SF短編集 第2巻」に『おれ、夕子』という物語がある。

 

 DNAとRNAの操作によって、生きた人間を”宿主”に、亡くなった人間をメタモルフォーゼさせる、という“現代版フランケンシュタイン”とでもいうべきテーマの作品だが、宿主にされる側とする側の2人のプラトニックな恋愛感情が何とも儚く、娘の対する狂信的ともいえる父親の愛情も鬼気迫るものがあり、全編を通じて何とも美しくも切ない物語が展開していて、四ですっかり虜になってしまった。

 

 丁度その翌年、大学の映画論を聴講して、初めて映画を製作する機会に恵まれたんだけど、その最初の題材に大胆にも選んだのが、この『おれ、夕子』だった。漫画が原作故、特殊効果も必要だったが、処女作という“怖いもの知らず”の状況でもあって、何とか“勢い”で撮り上げ、学内のホールで上映する機会にも恵まれた。勿論学生時代の習作という点や、かなりアレンジを加えた(主に学生の技量でも撮れるように規模を縮小するなど)とはいえ、著作権も絡みそうなんで、おいそれと上映できるわけではないが、この一本を制作しなければ、今日まで映画を撮り続けることは出来なかったし、クライマックスの兄と妹(原作では父と娘)の対峙するシーンは、今観ても胸に迫る演技をキャストの2人が演じてくれたので、今でも印象深い。

 

 

 ちなみに映画制作時のタイトルは、人間が代謝によって別人に生まれ変わるという意味で『新“人”代謝』と名付けた。本家の『おれ、夕子』は既にアニメ化されているが、出来ることなら映画かドラマ化してほしい。ちょっぴり複雑だけれど、プロの現場でどんな作品に仕上がるか観てみたい気がする。