沢木組長は「チャンバラトリオ」
ゆうき哲也といえば、今ではすっかりVシネ『難波金融伝・ミナミの帝王』における沢木組長のイメージが定着している感があり、あの貫禄たっぷりで口髭にオールバック、あたかもスティーブン・セガールを彷彿させる容姿こそゆうき氏であると思う人も多いと思う。最近の千原ジュニア版『新・ミナミの帝王』では同役を『どついたるねん』の赤井英和が演じていて“娑婆での貫禄”という点でいえば赤井の方がうんと上だろうが、それでもやはり、ゆうき哲也の沢木組長じゃないとしっくりこないほどだ。だからそんな“オリジナル沢木組長”が、元「チャンバラトリオ」の結城哲也といわれてもピンと来ないかもしれない。しかし我々の世代では、「チャンバラトリオ」の若手メンバーとして活躍していた彼のイメージの方が強い。
お笑いの世界に「ハリセン」なる素晴らしいアイテム(「ハリセンチョップ!」)を持ち込んだのが「チャンバラトリオ」だ。一応“チャンバラ”と名がついているだけあって、初期のトリオ3人(南方英二・山根伸介・伊吹太郎)は皆東映所属の斬られ役俳優だったそうだ。中途加入の結城哲也も東映で芸能活動をスタートさせ高倉健の付き人を務めていた時期もあったそうだから、時代劇全盛だった東映のバリバリの“チャンバラ俳優”で構成されていたことになる。しかも結成は、先に開催された東京五輪の前年の1963年だ。だから「チャンバラトリオ」の名に、偽りはなかったのである。
このように、お笑い芸人の中でも、話術よりも肉体で笑いを取るタイプの先駆けのコメディアンといえるかもしれない。実際、時代劇の演技指導なども行っていたのだそうである。
そんなプロ集団も、どうも金銭にはルーズなメンバーもいたようで、結城哲也も野球賭博で一時メンバーを脱退し、その後復帰したものの、結局俳優を目指して再度脱退していたらしい。だからすでに彼は「チャンバラトリオ」ではなかったそうである。そして「チャンバラトリオ」自体も2015年に解散し、初期メンバーの南方英二も山根伸介も鬼籍に入って久しく、かろうじて伊吹太郎だけが存命のようである。
この度結城哲也ことゆうき哲也氏の訃報を知って、こうやって往年のコントグループ「チャンバラトリオ」に思いを馳せたわけだが、結構立派な殺陣と、しつこすぎるハリセンチョップの応酬に腹を抱えて笑ったあの頃を懐かしく思い出す。ゆうき氏の、一番下っ端で下手に出ながらも、ちゃっかり”先輩”相手にツッコミを入れる、そんなしたたかな演技も脳裏に浮かぶ。以前は、ちょうど今の時期(正月)には、欠かさずテレビを彩っていたグループだった。ゆうき氏もいろいろなしがらみがあって「チャンバラトリオ」に定着しきれていなかったようだが、あの世はいわば「恩讐の彼方」、昔と変わらぬ“ツッコミぶり”を披露してもらいたいものだ……合掌。
チャンバラトリオで一世風靡、ゆうき哲也さん死去 79歳、糖尿病闘病中に…
https://news.yahoo.co.jp/articles/37a6e34cb9e053445127683a37c26e5ea9919ddd