2本の『新人代謝』
先日の「ひろしま映像ショーケース」にて、8ミリフィルム制作テレシネ上映を行った拙作『シューリンクス』。テレシネ故の粗い映像が他の作品群と比べてさぞかし見にくかったろうと、申し訳ない気持ちいっぱいで上映されている50分間を客席で過ごしたんだけど、意外にも、思ったほどその点に言及される方はいなかった。むしろ、質感から醸し出される30年間の時の流れを味わって頂いたようで、そんな好意的な意見に、大分救われる思いだった。
そうなると、すっかり味を占めてヾ(- -;)、またショーケースに往年の8ミリ作品を出品しようなんて邪な思いに駆られてしまうが、もし再びそのような事態が訪れたならば、1996年に公開した『新人代謝』なる作品あたりが候補に挙がるかもしれない(;^_^A
本作は、元ネタを藤子・F・不二雄先生の傑作SF短編『おれ、夕子』に求め、遺伝子操作によって生きた人間がそのまま定期的に他人へとメタモルフォーゼする、というストーリーの作品を、登場人物同士の愛憎劇を織り交ぜながら企画制作した。『新人代謝』というタイトルは、全くの私のオリジナルで、「新陳代謝」にかけ、「代謝によって人間が新しく生まれ変わる」というイメージで名付けた。我ながら結構気に入っているタイトルである(;^_^A
主人公の大学生は、高校時代交際していた同級生を事故で失い、そのトラウマを抱えながら、今は別の女性と付き合っている。そんなある日、急に理科教師をしている元同級生の父親に急に誘われて、主人公は同級生の自宅に伺うが、そこで謎の“人事不省”に陥り、幸い意識を回復したものの、それ以後、元同級生の“亡霊”の目撃情報に翻弄される。しかし、その“亡霊”の正体は、死んだ娘を得溺愛していた科学者の父が発明した狂気のテクノロジーの産物だったのである。
本作では主人公の身に降りかかるSFチックな不思議な出来事をベースにしながらも、そこに主人公の元同級生に対する思慕、彼を慕うがゆえに亡き同級生へ仄かな嫉妬心を抱く恋人、亡き娘への一途な感情を抱き続ける父親の教師、そんな彼を慕い続ける教え子の女子高生、という、亡き同級生を軸に幾層にも重なった愛憎劇が展開していく。技術的にも、どうしてもモノクロシーンが出したくて(ビデオと違いフィルムはいったん現像すると後で補正は一切きかない)、当時8ミリフィルムの「色抜き現像」を全国で唯一行っていた大阪のフジカラー現像所に、大阪の映画関係の知人にお願いして依頼したりした。演出に関しては、全体的に円谷プロの『怪奇大作戦』のテイストで行ったのを覚えている。まあ、これも今から四半世紀前の頃のことなんだけどね(;^_^A
ところで、既に十分“クラシック”の域に入っている本作だが、実はそれからさらに遡ること11年前の1985年にも、同じ『新人代謝』というタイトルで8ミリ映画を撮っていた。何と1996年版は共に8ミリ素材によるセルフリメイクだったのだ。今だったら考えられない話だろうけど(;^_^A ちなみにその1985年版『新人代謝』こそ、今年で35周年を迎えた我が映画生活人生において初の監督作品・処女作だったのである。
物語は1996年版のように愛憎劇を絡めるなんてことはせず、ほぼほぼ原作に忠実な物語だったが、亡き娘とその兄(96年版では父親)の再開のシーンロケは、夜の9時から始めて、日付が変わったのも気が付かないくらい集中して撮ったのを記憶している。このクライマックスシーンは、その後キャリアを積んで技術的にも向上して撮った96年版にも引けを取らない出来上がりだった。
とはいえ、まだ正式なテレシネを行っていないため、こちら(1985年版)の方はなかなか出品というわけにはいかないけど、いつか私的な上映会で、両作を一挙公開なんてことが出来たらいいな、とは思っている。