歴史ドラマにおけるセーラー服のあれこれ
75周年目を迎えた終(敗)戦記念日の一昨晩、NHKではBSで18:00から『Akiko's Piano』、そして19:30からは地上波で『太陽の子』という2本のドラマを放映した。前者は廣嶋で被爆死した、ピアノをこよなく愛していた当時の女子学生のエピソードと、彼女が愛用していた“被爆ピアノ”で彼女をイメージして作曲された「Akiko's Piano」がコンサートで演奏された様子を伝えるドキュメントを交えた“ドキュメンタリードラマ”といった趣のもので、後者は実際に「原子核爆弾」の開発に奔走した京都大学物理学研究室の教授や学生たちの葛藤を描いた、今までにない切り口のドラマだった。いずれにしても、「このラインナップならば、8月6日に流すべきじゃなかったか?」(実際後者にも被爆直後の広島の惨劇が描き出されている)って思うような、ヒロシマの原爆に関係深い内容だったと思われる。
さて、この2作品のうち、『Akiko's Piano』のドラマパートは、芳根京子演じる悲劇のヒロイン・河本明子を主人公として、運命の8月6日前後までの彼女の生きざまと死を描いているんだけど、女学生故そこにどうしても登場する制服について、ネット上のスチールを観る限り、いささか違和感を覚えた。それというのも、戦時中にしては、セーラー服の襟が今風にシャープで、どう観ても戦時中のそれに見えないのだ。
セーラー服とば、映画・ドラマ制作上非常に都合の良い衣装で、それ自体が女学生の「アイコン」となって、それを着たら一様に誰でも女学生に見える。また昨今の個性的なブレザーと異なり、詰襟と同様ほとんど変わることなく古くから使われているので、女主人公の過去を描く時も便利だ。しかし、それが戦前・戦中まで遡ると、現行のセーラー服をそのまま、って訳にはいかなくなる。その点、今回のドラマで使用された制服は、あまりにも今風でおしゃれで、戦中という時代感を出すのにはいささか洗練されすぎたきらいがある。
個人的な話だが、私は過去に2本の「戦時中の女学生」が登場する映画を撮ったことがある。そのうち、最初の『いつも見ていたヒロシマ』という作品では、麦わら帽子・白ブラウス・プリーツスカートで当時を表現しようとした。その次の、『シューリンクス』という作品では、セーラー服を衣装として使用したものの、上記のような懸念から、当時もあった、セーラー服の襟をすっぽり白い布で覆う形にして時代感を出そうとした。そんなことがあったので、今回の『Akiko's Piano』ではちょっぴり違和感を覚えた次第。もっとも、セーラー服姿の芳根京子は実に可憐で、それ故その先に避けて通れない“現実”の悲劇性がより強調されていたと思う。
ちなみに、ピアノならぬフルートをこよなく愛する女学生・笙子が登場する拙作『シューリンクス』は、来る8月29日(土)に広島市映像文化ライブラリー主催の「ひろしま映像ショーケース2020」で23年ぶりに上映されます(;^_^A 詳細はいかに記しますので、近郊の方、宜しかったらご覧ください(いつの間にか、上映の宣伝に……ヾ(- -;)ヾ(- -;))
「ひろしま映像ショーケース2020〜広島発!インディーズムービー〜」
日時 2020年8月29日(土)14:00〜18:30
場所 広島市映像文化ライブラリー
入場無料 (84席)
上映作品(上映順)
「かわひらこ」(67分)
「シューリンクス」(50分)
「おはぎ」(54分)
「Lost of the memorial nuked Tile」(40分)
※10:30~14:00までは学生作品を上映
※詳細はこちらから
http://www.cf.city.hiroshima.jp/eizou/calendarNext.html?id=showcase