神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

長崎と広島

 低迷が続く広島東洋カープ。その主たる原因である不調の投手陣の中、一人気を吐くのが、今やエーズの称号を手にした大瀬良大地投手。(あくまで広島ファンにとっては)劇的なドラフト抽選を経てカープに入団。一時は2015年CS逃がしの“戦犯”のように言われた時期もあったが(というか、それ以上に真面目な彼がその責任を一身に背負ってしまったところはあったが……)、コンスタントに実績を重ね、その直後の奇跡の三連覇に大いに貢献してくれた。

 

 2009年春の選抜大会で清峰のエースとして母校を優勝に導き、その年のドラフトで、夏甲子園優勝投手堂林翔太とと共に「春夏甲子園優勝投手総獲り」で広島東洋カープに入団。同世代のライバル大瀬良と共に、これもまた三連覇に貢献したのが今村猛投手である。

 

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 サッカーJリーグ発足時に、サンフレッチェ広島のレギュラー選手として長く活躍し、監督として復帰後、祖pレまでJリーグ創成期チームとして唯一優勝に縁のなかったサンフレッチェを初優勝を含め4年間に3度全国優勝に導き、今やサッカー日本代表Aチームの監督を務める森保一

 

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 上記の彼らの共通点は、皆長崎出身であるということ。もっと言えば、広島のスポーツ界に多大なる貢献をしてくれた、長崎からやってきた恩人とも言っていい。そういえば、森保監督の選手時代、同じくサンフレッチェのエースストライカーとして活躍した“アジアの大砲”こと高木琢也も確か長崎出身だった。逆に長崎のスポーツに貢献した広島関係者っていったら、今は亡き独立リーグ長崎セインツ』の監督に元広島投手の長富浩志が就任していたくらいしか思いつかない(しかも彼の出身は千葉)。そう考えると、ホント広島は長崎に助けられている。

 
 原爆禍という、悲しき共通点がなかったら、中国地方の広島と九州の長崎とに、そんな接点はなかったはずだ。しかし、あの1945年8月の忌まわしき出来事(戦禍という名の人災)が起きてから、二つの都市は「反核平和」という共通の目標を掲げることになった。広島市商高校と長崎商業高校との「ピースデパート」や、V・フォーレン長崎J1昇格時(その時の監督が、なんと“アジアの大砲高木琢也だった!!)の2018年にビッグアーチで行われた、サンフレッチェ広島とのピースマッチ等々、両市両県の結びつきは深い。


 しかしながら、広島の若者の中では確実に被爆の歴史は風化していて。原爆投下の8月6日はかろうじて知っているものの、投下された8:15に至っては何とも怪しい状況になっている。しかも、残念なことに、長崎投下の8月9日や11:02に至っては、知っている者の方が少ないくらいだ。まったくもって申し訳ない。ただそれを言い出すと、「沖縄戦はいつから?」「東京大空襲はいつ」なんて質問にしっかり答えられない、情けない自分があったりする。何はともあれ、戦災に程度も地域の限定もない。それが日本であろうと他国であろうと……

 
 今日は長崎に原爆が投下されてから75年目の8月9日。もっとも広島が「人類最初の原爆被害を受けた都市」というのは、どうしようもない“レガシー”だが、長崎の目指す「人類最後の原爆被害を受けた都市」というのは、現在進行形の、そうあってほしいと全世界が望む願望だ。昨今、この日本でも、核兵器の必要性をまことしやかに語る者が増えているようだが、そんな御仁は、自分の頭上に核兵器が投下されるかもしれない可能性を考えない、全く持って”お花畑”の住人といっていい。そんな輩に限って、反核平和を提唱する者を”お花畑”と揶揄するが、本来お前らが無神経なだけなんだよ! そんな輩は、まあ言っても無駄だろうけど、広島に長崎に、そして沖縄に行ってみるがいい。少しはことの重大さを理解できるかもしれないから……

 
 改めて、長崎が「人類最後の原爆被害を受けた都市」であり続けますように………