神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

綾瀬はるかと深田恭子

 先日CSで久しぶりに劇場版『ひみつのアッコちゃん』を観賞した。“劇場版”といっても当然、往年の「東映まんがまつり」版のアニメではない。綾瀬はるか主演の実写版リメイクだ(とはいっても設定以外はほぼオリジナルの作品といっていい)。

 

 本作については、6年前の初観賞時に感想をブログにしたためたことがあったが、その時も書いたように、「子供の精神のまま成人の体を手に入れてしまった」設定を演じきれるのは、やはり綾瀬はるかを置いて他にはない。それ故彼女を主役に抜擢したスタッフの慧眼、センスには頭が下がる思いだ。綾瀬はるか自身もその期待に応え、思わず大学の“算数”学科卒と口走ってしまう、体だけ成人の小学生・加賀美アツ子という難しいを、見事に熱演してくれていた。

 

 

 

 思うに、そんな彼女の演技力、なり切りぶりは、他の女優と比べても群を抜いている。だから白血病の薄幸の娘も、中学バレー部顧問の女教師も、盲目の居合い抜きの達人も、特殊工作員も、果ては人智を超えた未来のサイボーグ(アンドロイド)まで見事にこなしてしまう。彼女がバラエティなどで時折魅せる“天然”ぶりも、もしかしたら彼女の中では計算ずくの“演技”なんじゃないか、って思うくらいだ。それこそ、“素の彼女”はどこにいるんだろうって勘ぐってしまいたくなるくらい、彼女自身「綾瀬はるか」を完璧に演じきっている。

 

 彼女と同様の印象を受けるのが、『ワイルド7』の(と敢えて書く(;^_^A)深田恭子だ。難病に侵された少女を演じたデビュー当時は、感情をむき出しにする、生意気だけど何処か儚い演技が印象的だったが、その後、俗にいう“汚れない”キャラクターを粛々と演じてきたように思える。年齢を重ねても衰えないどころか、ますます円熟味を感じさせる容姿と共に、未だ少女のような初々しさ(一歩間違えれば“カマトト”)をキープしているフカキョンは、綾瀬はるか同様、どんな役もフレキシブルにこなす。もっとも、綾瀬はるかが与えられた役に自らを合わせていく順応性があるのに対し、フカキョンの場合は、どんな役でも彼女は彼女、あとはスタッフが寄ってたかって彼女を与えられたキャラの型にはめていく、もしくは彼女に合わせて役のキャラクターを可変させているような感じがする。だから綾瀬はるかはドラマや映画の演出によってその役になり切るのに対し、フカキョンの場合は、どんな役を演じてもフカキョンフカキョンであり、彼女がドロンジョを演じようが、ルパンの娘を演じようが、阿部サダヲの妻を演じようが、UQモバイルのCMで三姉妹の長女を演じようが、そこにいるのは「深田恭子」その人である。

 

 

 そんなわけで、綾瀬はるかにせよ深田恭子にせよ、彼女らから“人間臭さ”を感じることは少ない。しかしこれは批判ではなくむしろ役者としての彼女らに対する賞賛だ。自分の感情の赴くままに演じるのはたやすいことだろう。しかし、積極的であれ消極的であれ、うまく自分を殺して役柄に身をゆだねたり、逆に規定されたキャラクターで役柄を再構築していくことができる彼女らは、やはり稀代の女優であるといえる。年齢も綾瀬は35歳、フカキョンに至ってはもう37歳なんだそうだが、そんな年齢は感じさせない、虚構性ゆえのアンチエイジングを感じさせる。

 

 方法論に違いはあれど、自我をあらわさないことで確固たる地位を傷たといえる2人の稀代の女優。そのフィルモグラフィーから、勝手に“こっち側の女優”と定義させてもらっている2人だが、今後も活劇に果敢にチャレンジしてもらって、そんな中であっけらかんとした演技を魅せてもらいたいものだ(;^_^A