神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『THE 争奪戦っ!』 WEB公開決定!!

 現在、最新作『YOSHIKOを探せ!!』完全版を鋭意制作中の、私および映画制作団体イチヱンポッポフィルムですが、この度、短編ヒロイン活劇『THE 争奪戦っ!』WEB公開することになりました!!

 

 

 本作に関しては、当ブログをご覧の方であれは既にご存じとは思いますが、広島若者文化の聖地・広島市青少年センターを舞台に、演劇を志す女子高校生の争奪のため、くノ一(くのいち)と素浪人とが非現実な剣劇(チャンバラ)を繰り広げる、というスラップスティックコメディー作品です。もともと、2019年に前述の青少年センターで開催された「わかもの映画祭」の「若者が出演する映画」部門へ出品するために制作された作品で、今まで件の「わかもの映画祭」とその年の「広島映像ショーケース」での無料上映、そして昨年8月に念願の開催が相成った「広島発ヒロインアクションチャンピオンまつり」のラインナップに名を連ねる(その際は訳あって『ザ 争奪戦っ!』名義)など、都合3度公開されました。そこで、新型コロナウイルス感染症拡大防止で広島県もまん延防止等重点措置適用となったこともふまえ、イチヱンポッポフィルムとしても皆様に当団体の作品を楽しんでいただきたいという趣旨で公開することが決定しました。

 

 

 

 

 


 また、今まで当団体の予告編(告知)映像に、韓国やインドネシアといった海外からもアクセスが多く寄せられています。そこで、この度の公開に関し、「インターナショナル版」として、現時点で英語およびハングルの字幕を選択できるように手配してもらいました(後日インドネシア語字幕も掲載予定)。そのこともあって、冒頭に登場する原爆ドームをはじめ、「セーラー服」「くノ一」「チャンバラ(剣劇)」といった、世界に通用する日本(広島)のカルチャーが軒並み登場する本作が、WEB公開に選ばれた次第です。

 

 

 

 


 先日の「チャンピオンまつり」で本作をご覧になった方々には大変申し訳ないのですが、短編故、今後単体のDVD発売の予定がないだけに、この機会に、なかなか広島や東京まで当方の「広島発ヒロインアクションムービー」をご覧になれない遠方の方々、当時の広島県における「緊急事態宣言」発令によって「チャンピオンまつり」に参加できなかった方々にも、是非観賞して頂きたいと願っています。

 以下のバナーをクリックして、Youtubeで楽しんで頂けたら幸いです。それと、この機会に「イチヱンポッポフィルム(IPF)」のYoutubeチャンネルへのチャンネル登録も、何卒よろしくお願いいたします!!

 

 

ナポレオンに顔向けできない……

 もともと夜更かしの習慣が身についてしまっていたが、この年末年始のまとまった休日をダラダラ過ごしたせいで、その悪しき習慣がさらにひどくなってしまった。職場でもボーっとしてしまうことが多いし、何とも体調がすぐれない。

 

 その夜更かしだって、本来は映画の編集など差し迫ってやらなければいけない作業をこなさなければ、と思ってのもののはずが、それすらなかなか“エンジンがかからず”ダラダラ徒に起きてしまっているってのが実情だ。おそらく「作業がたまっているのに寝てはいられない」との強迫観念がそうさせているのかもしれないけど、これじゃ逆効果だ。

 

 かのナポレオンも1日3時間しか寝なかったらしいが、午前3~4時までダラダラ起きている私とは中身が全然違う。同じ3時間だからといって、とてもナポレオンに顔向けできないよヾ(- -;)ヾ(- -;)


 そんなわけで今日はとことん寝ることにした。仕事から帰って、娘を塾に連れて行ってから迎えに行くまでの間に寝、連れて帰ってからまた寝、そして今起きてブログを更新して、それがら風呂に入って、改めて寝るつもり。ゲームの誘惑も、編集作業をしない後ろめたさも捨てて、今日はとことん惰眠を貪ることにしよう(;^_^A

今日は「2022」で「111」で……

 2022年なんて、子供の頃は信じられなかった年に突入して、今日初めて日付がゾロ目の日を迎えた。そこで思い立って、現在職場で仕事に使っているストップウォッチを、西暦が表記されるからと持ち帰り、丁度「2022年」「1月11日」の「20時22分22秒」、つまり、「2022111202222」のタイミングで写真に収めた。

 

 

 もっとも、撮った後になって、「これって、2月22日に撮った方が良かねぇ?」「1月11日よりも10月11日だろう?」との思いがよぎったよ(;^_^A

 

 何はともあれ、このブログをご覧になる方々は、「こいつって精神年齢は何歳なんだ?」なんて思われるかもしれない、正直『シャザム』じゃないが、何か精神年齢が実年齢に全然追いついていないような気がする。鏡に映る自分の姿を見ても、恰幅はいいが貫禄は皆無ヾ(- -;)、白い頭に呆然としながら「年相応の人間に慣れてないなぁ」って反省することしきりである。何といっても、この歳で娘くらいの子らを集めて、昭和のズベ公のノリで映画撮ってんだから、まさに「いい歳こいた映画少年」である(;^_^A 夏目漱石先生辺りから「精神的に向上心のないものはばかだ」(by「こころ」)ってお叱りを受けそうである(;^_^A

 

 そんなこんなで更けていく「ゾロ目の日」。さあ、今から頑張って、その「昭和のズベ公のノリ」の映画の完パケ作業に勤しまなければ……

ケンオウ!

 「ケンオウ」といっても、『北斗の拳』の「拳王」ではなく、その「拳王」キャラで目下売り出し中のオリックス・杉本のことでもない。同じ音の「ケンオウ」でも、こちらは「県央」。県の中心・ど真ん中のことだ。

 

 今年最初の三連休最終日の今日、家族に請われて東広島の福富町にドライブ。目的地は「道の駅湖畔の里福富」だったが、そこでこの道の駅の近辺に広島県の県央の地(つまり広島県のど真ん中)があって、そこに「県央の地モニュメント」まであることを知り、距離もそこから5キロあまりだったことで、思い切ってそこまで足を延ばすことにした。

 

 

 

 「広島県のど真ん中」にあるモニュメントだから、観光価値が高いだろうし、その分大々的なPRがされていてもおかしくないと思っていたのに、意外にも道しるべは小さくて、意外にも不案内だったり、確かに看板に「道が狭いので気おつけてください!(原文のまま)」って書いてあったけど本当に離合不能なしかも砂利道が続き、愛車の心臓部でもある大型バッテリーが配置されている“腹”の部分をこすったりと、ホント大変な道のりを走りながら、目的地を探した。ちょうど昨晩テレビで「ポツンと一軒家」を観たばかりだが、まさにそこで登場するような山道。その分娘たちは大喜びだったが(;^_^A

 

 

 やがてようやく開けた場所までたどり着いたが、そこにあった看板を見ると、どうも気づかずに通り過ぎていたらしい。するとその看板に書いてあった「クマに注意」の文字に、家族たちが本気で怖がりだし、私が車を降りてその看板や風景を撮りに行くのさえ反対したぐらいだった。

 

 

 

 

 結局、元来た道を再び引き返し、再び「ポツンと一軒家」に出てくるような道を、離合の不安を抱えながら下り、ついに目的地だった「県央の地モニュメント」を発見した。見過ごしたのは当然で、一応看板はあったものの、目的のモニュメントは山の中腹のうっそうと茂った木々の間の斜面に建てられており、こちらが勝手にイメージした公園然とした場所ではなかったことから、逆に正真正銘の「ど真ん中」を示しているのだろう。

 

 

 

 

 幸いそこの少し下に車を停車できるスペースがあったんで、停めて写真を撮りにいったが、やはり家族は降りる気配はなく、一人で撮りに行くことに。結構急な斜面に急ごしらえのように設置された木の階段を息せき切って(そして私もちょっぴり熊が怖かったので結構意図的に声と音を立てながら(;^_^A)登っていき、ようやくモニュメントまでたどり着いた。そして、お約束というか、モニュメントの真下に足を置いて「県央に足を踏み入れた」図を撮ってきた(;^_^A

 

 

 

 

 

 

 その後、狭い山道を、またひやひやしながら運転して下っていったが、山道の雰囲気にすっかり調子に乗ってしまった娘たちは、あろうことがスマホで『インディージョーンズ』の曲を流してはしゃいでいたよ。もう運転者の心も知らないで………

 

 

 

 

 

『緋牡丹博徒』と藤純子の狭間に

 先日、年始の東映チャンネル無料放送を話題にしたが、その折に、久しぶりに『緋牡丹博徒花札勝負』を観た。きちんと最初から最後まで観たのは、おそらくかれこれ四半世紀近く前の初見以来だったように記憶しているが、未だにいくつものセリフを映像に合わせて諳んじられるくらい、微細にわたりしっかり覚えていたのは、我ながら可笑しかった(;^_^A  本作に関しては、初めて間がない「yahoo!ブログ」時代に、話題にしたことがあった。

 

 

 ところで、この作品の魅力に関しては、既に上のブログで十分語っているので(;^_^A、今回は、この度の観賞を通して感じたことを……

 

 

 この『緋牡丹博徒』シリーズの、ヒロインアクション的な特徴としては、「姿形は女性のままで、男性の如く振舞う」というキャラ設定にある。亡き父の遺志を継いで矢野組の再興を目指す「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子は、父の墓前で「これからは女を捨てる」と誓う。だから、仁義を切るときにも恥じらうことなく男のように大股開いて腰を落とし、九州訛りを巧みに使い、言動にも女性らしさはほとんど感じられない。しかし、演じる藤純子富司純子)は、いくらセリフや演技の上で「女を捨てた」といっても、女性の色香をたっぷりと含んだ女性である。日本におけるヒロインの歴史は、男性の「女形」による「演技としての女性」に始まって、美空ひばりの時代劇や「女剣劇」に象徴されるような「男装の麗人」へと受け継がれ、「緋牡丹のお竜」の“精神的ジェンダーフリー”を経て、ストレートに強い女性が闘う志穂美の悦ちゃん辺りに昇華されて今日を迎えている。

 

 

 さて、そんなエポックメイキング的なシリーズである『緋牡丹博徒』 及び「お竜姐さん」だが、その人気が絶頂の時、演じる藤純子は結婚によって女優を(一時)引退し、梨園の世界に身を委ねることになる。彼女の結婚式に招待された東映の関係者はスピーチで口々に彼女の引退を惜しみ、さながら新郎に対する“糾弾会”の様相を呈していたらしい(;^_^A もっとも、別の見方をすれば、藤純子自身、女だてらに侠客の道に生きる「お竜姐さん」のキャラを演じることに疲れていたんではないか、なんて思ったりもする。実は、今回久しぶりに『花札勝負』を観た際に、藤純子の演技にそこはかとなく“無理”を感じ、そんなことを考えたのである。そこで立てた仮説は、「藤純子はこの『お竜姐さん』の役を快く思っておらず、どこか無理をして演じていた。それ故、その“窮屈さ”“ストイックさ”が逆に彼女を妖艶なキャラクターに仕立て上げたのではないか」というものである。彼女は別の仁侠映画で、「幸薄い遊女」などのキャラクターを演じているが、本来妖艶さをうんと醸し出していそうなそれら“女性キャラ”も、「女を捨てた」と嘯き、それなりの身に振り方をする「お竜姐さん」の独特の色香には及んでいないように思えて仕方がない。

 

 話は変わるが、我がアクションヒロインのレジェンドといっていい『スケバン刑事』の斉藤由貴も、決してあの麻宮サキ役を嬉々として演じていたわけではないそうだ。そう考えると、「どうして『スケバン刑事』はヒロインアクション的にあんなに面白かったのか」という命題の答えが、意外にも『緋牡丹博徒』シリーズにあるのかもしれないな(;^_^A

憧れの「東映チャンネル」、奇跡の……

 どういう塩梅か、年始を迎えCS「東映チャンネル」の無料放送が続いた。普段はCATVに加入していてもオプション契約しなければ視聴できない「東映チャンネル」なんで、昨年10月辺りに定期的に無料放送の日(月一回程度)があることを知ってから、その日は片っ端から録画するようにしてきた。おそらく当方のブログをご覧の方ならば、私が70~80年代の東映プログラムピクチャーや、昭和60年代東映系ヒロインアクションドラマ、東映製作の特撮ヒーロー“テレビ映画”を溺愛しているかをご存じだと思うので、この気持ち、この行動はわかってくれると思う(;^_^A 大抵は半日程度の無料放送になるんだけれど、前回など、かのソニー千葉追悼の意味待ったのか、氏の初主演作にして深作欣二監督作品『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』がその枠で放映されたのが大変ありがたかった。

 

 ところで今回の無料放送なんだけれど、上記のように何故その時間帯が数日に及んだ。おかげさまでその間、往年の特撮ドラマ『大鉄人17』、『バトルフィーバーJ』、『ジャッカー電撃隊』、「かめんらいだーすーぱーわん~♪」の『仮面ライダースーパー1』、『キカイダー01』(よりによって「キ●ガイバト」の回(゚Д゚;))を2話ずつ堪能できたし、かの“御手洗博士”(by『ミラーマン』)の宇佐美淳也水戸光圀を務め、B級特撮っぽいテイストだった“第二東映”の『水戸黄門漫遊記 怪魔八尺坊主 』や、かの加藤泰の超名作『緋牡丹博徒花札勝負』、東横映画時代の作品で、中村雅俊岡田茂御大の若かりし頃を演じたドラマ『映画三国志』の中でその制作秘話が描かれた『きけわだつみの声』、地井武男がダイナマイトで橋を吹っ飛ばす無茶ぶりに圧倒された『トラック野郎熱風5000キロ』、かの初期必殺シリーズで「鉄砲玉のおぎん」を演じた野川由美子が奇跡のように美しい(そして妖艶な)『くノ一忍法』といった、実に東映テイストに溢れた映画もゲットできた。また、子供時代必死になって観ていた(それなのに殆ど記憶に残っていない)『キーハンター』も2話ほど録画できたのはありがたかったな(;^_^A

 

 

 

 

 自分にとって「東映チャンネル」は憧れであり、そのラインナップをテレビガイド欄で見る度にため息をついてしまうんだけど、その視聴だけに月々払う金額に、解約時には同額の解約料を払わなければいけないシステムや、仮に契約しても今の忙しい状況でどれだけ観賞出来るのか、などを鑑みると、なかなか契約には二の足を踏んでしまう。おそらく定年を迎え時間に余裕が出来たら観賞する時間には恵まれるんだろうけど、逆にその頃には視聴料を払う金銭的余裕はなくなっているだろう。そんなわけで、今はめったにない無料視聴の時に、せっせと録りためていくしかないだろう……(;^_^A

やっぱり「ストロング小林」

 小学生時代、島根県に住んでいた私にとって、プロレスといえば「国際プロレス」だった。それは民放が2局しかなかった故、日テレ系の「日本プロレス中継」が放送されず、唯一観戦できたのがTBS系(当時)の「国際プロレス中継」だったからだ。だが当時は、グレート草津サンダー杉山がメインで、らマイティ井上アニマル浜口寺西勇マッハ隼人剛竜馬も阿修羅原もほとんど記憶に残っていない。ただ金網デスマッチは観た記憶があるので、ラッシャー木村は観たことがあったのだろう。それと、モンスターロシモフはその頃から知っていたので、彼が「アンドレジャイアント」と改名していた時には違和感を覚えたものだった。

 

 

 そんなわけで、覆面太郎ことストロング小林のことも当時は知らなかった。むしろ、1973年より父の転勤に伴って3年ぶりに広島に引っ越して、当時UHTと呼ばれていた現広島ホームテレビで視聴が可能になった新日本プロレスで、坂口征二と組んで北米タッグ王者に君臨していた時のストロング小林の印象の方が強い。

 

 後に、故竹内健二氏の著によって、彼が国際プロレスのTBS放映が打ち切りになった窮地に、国際を捨てて「果たし合い」の美名のもとに新日に移籍した旨を知り、彼の無責任な態度に憤慨したものだが、さらに後になって、国際時代、実力も伴わないのにやたら“権力”を振りかざしていたグレート草津に冷遇されたことが移籍のきっかけになったことを知り、多少なりとも彼に同情するようになった。

 

 

 子供心にストロング小林を観て感じたのは、「猪木に似てるなあ」って感慨。もっともその猪木を極めて武骨に大雑把にしたような容姿が、ストロング小林のイメージだった。後に頭をスキンヘッドにし、奇しくも最近CSの時代劇専門チャンネルで放映されたばかりの『伊賀忍法帖』に「金剛」役として俳優デビューし、それが縁で一時リングネームを「ストロング金剛」に改めた時期もあったが、私にとっては永遠に「ストロング小林」だった。

 

 そんな小林氏が、実は昨年の大晦日に逝去されていたそうだ。享年81歳。きっと波乱に富んだ人生だったろうが、国際のエースとして、新日本の重鎮として、そしてタレントとして活躍していた人生は、実に有意義だったと思いたい。そしてあの世では、、まず国際の吉村社長と和解してほしいね。それから馬場や大木、木村らと派手にやり合ってほしい………合掌

 

 それにしても、元新日本の猪木や坂口が存命というのは、ある種驚異的と言えるし、それ故その存命記録を今後うんと伸ばしてほしいものだ。

 

 


ストロング小林さん死去 覆面、日本人対決、タレント転向…プロレスの隆盛を築いたパイオニア
https://news.yahoo.co.jp/articles/32d3c7f2f8ce809b12231a9c8ab0f962f3ae852c

年度末にワクワクする(;^_^A

 年末年始と浮かれていたが、実はリアルな“仕事”の方は既にスタートしている。新年の幕開けとはいえ、年度でいえばまだ残り3ヶ月、今までの仕事の総決算の時期となった。

 

 もっとも、今回の『YOSHIKOを探せ!!』や、2017年ロケの『女子高生戦士☆英あいり』のような例を除けば、私の映画制作は圧倒的にこの年度残りの1~3月に集中している。『天使諜報★神宮寺真琴~寝飼われた生徒会長~』しかり、『天使諜報★神宮寺真琴~市民の敵は場外へ飛ばせ!~』しかり、『天使諜報★神宮寺真琴~シンデレラの懸賞金~』しかり、『特命探偵☆葛城アキ~郷土の怒りをぶちまけろ~』しかり、『電光石火☆八城忍』しかり、『学園特捜☆伍代聖羅~戦士の休息~』しかり、そして1月の1日ロケで完成した『THE 争奪戦っ!』しかり………要は、“広島発ヒロインアクションムービー”は、ほぼほぼこの時期にロケが集中している算段になる。

 

 

 だから、この時期になると俄然ワクワクしてしまう(;^_^A  時には積雪によって撮影が延期になったこともあるが、歳を取って、暑い夏がホントしんどくなってきた身としては、そしてこの時期に比較的穏やかに過ごすことが出来る身としては、この時期を大切にして、何かできたらいいな、なんて考えている。

 

 もっとも、未だ新しい職場に移ってまる1年を過ごしたわけではないので。そんなに思い通りにいかないかもしれないけどね………

華麗すぎる「三刀流」!!

 ここ最近観たヒロインアクションムービーの中では、あまたのハリウッド大作を遙かに凌ぎ、マイフェイバリット作品だった『地獄の花園』。もちろん本作では、主人公を務めた永野芽郁の究極の豹変ぶりと肉弾ファイトに惚れ惚れしたんだけれど、実は本作にはもう一人の“「ナガノ”が出演していた。長野じゅりあである。かの広島発“劇場公開ヒロイン活劇”『サルベージ・マイス』で、谷村美月とダブルメインを張った彼女の名を、『地獄の花園』のエンディングタイトルで発見したときには、胸が躍ったね(;^_^A  もっとも、その後DVDでも本作を拝見したんだけれど、未だ彼女の姿は見つけ切れていない。

 一時は芸能界から離れた時期もあったそうだが、今の彼女の肩書きは「美人空手家、アクション女優、現役看護師の三刀流」なんだそうだ! ええ? アクション女優で、リアルファイトの格闘家で、しかもナース?!!  その上、昨年撮り下ろした初のグラビアでは、「水着で『ライダーキック』」まで披露してくれているのだ! !  もう“完璧”すぎる“こっち側”の女性じゃないか!(*゚Д゚)  

 


 そんな彼女に、今度はプロレスラーの肩書きも加わるそうだ! デビューはこの3月らしいが、場所は両国国技館、完全なるVIP待遇だ。女子プロレスラーといえば、彼女が件の『サルベージ・マイス』の劇中、“ガーディアン”として何度も「広島を馬鹿にするなぁ!」と叫んでいた、その広島の地(北部)には、かつて「全女」で活躍した元レスラーのミミ萩原が、新興宗教の教祖として住んでいるが、まあ、そんな話はどうでもいいことなんで(;^_^A 、今は彼女のマット上での活躍に期待しよう。きっと“魅せる”プロレスを見せてくれるだろう(;^_^A 

 


 ちなみに彼女は、『サルベージ・マイス』では、制服(ブレザー)姿での空手アクションという、素晴らしすぎる演技を披露してくれていたが、まさに「ヒロイン活劇」「リアルアクション」「広島発」「プロレス」「ライダーキック(特撮ヒーロー)」そして“昭和60年代東映系ヒロインアクションドラマ”を彷彿させる「制服(高校制服・看護師制服含む)」という、当ブログのテーマ(というか私の趣味ヾ(-д-;))の殆どを網羅した、それこそ「『神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~』の申し子」のような存在といえるかもしれない(;^_^A (;^_^A 

 それ故、次は彼女をピンに据えたヒロイン活劇の誕生を祈念してやまない(;^_^A  それにしても『サルベージ~』の頃よりうんと綺麗になってるじゃん!!(^^)

 

 


“美女空手家”長野じゅりあ、プロレスでデビュー決定、昨年は初グラビアでも話題に

『虎狼の血』と「灰ヶ峰」

 正月三が日最終日の3日は、家族サービスでドライブ。前2日は外出しなかったこともあり、この日が今年の初運転。当初は山口の方角へ向おうとしたが、道路がかなり混んでいたので、急遽年末に行ったばかりの呉方面に足を延ばすことになった。

 

麓より臨む灰ヶ峰

 

 とはいうものの、あまり変わり映えのしないところにいっても、と考えて、久しぶりに呉の最高峰・灰ヶ峰に登ることにした。呉に来るたびに見上げる灰ヶ峰なんだけれど、こうやって山頂に登るのは。娘たちが生まれる前以来なので、十数年ぶりのこととなった。久しぶりに走る登山道は思ったより急で険しく、再来年に“成人”を迎える愛車にとってはかなりきつい道のりだたようだ(;^_^A

 

近くで見るとレーダーはこんな感じ

 

 抜けるような晴天にも恵まれ、灰ヶ峰の山頂から見下ろす街の様子はまさに絶景だった。灰ヶ峰の山頂といえば、かの呉を舞台にした映画『虎狼の血』のロケ地にもなった場所だが、確かにここから街を見下ろすと、「呉を手中に収めた」ような妄想に駆られてしまうかもしれない、特にヤクザ渡世の世界ならば猶更だ。

 

 

 

 

 それにしても、この『虎狼の血』シリーズにしても、アニメの『この世界の片隅に」にしても、昨今広島県南部のこの都市が脚光を浴びている。『この世界の~』はともかくも、『虎狼の血』の方は、内容が内容なだけに、市民の反発の一つでも起きそうなものである。かつて『仁義なき戦い』シリーズによって広島=暴力団のイメージ出来上がることに市民が反発したように。しかし呉市の場合、わざわざ『虎狼の血』のロケ地マップまで準備するなど、もろ手を挙げて歓迎しているようである。まあ、この件に関しては、市民の意識が習熟したこともあろうが、「何が何でも町おこし」の意識が根底にあるのだろう。まあ、やたら倫理観をひけらかし細かいことい目くじらを立てるよりよっぽど健全だと思うけどね(;^_^A

 

 それはそうと、最近歳を取ったせいか、「十何年ぶり」とか「数十年ぶり」に訪れた場所には、今後生きて再び来られるだろうか、なんて考えてしまうことがしばしばある、今回も「十数年ぶり」だったから、今からさらに「十数年後」に果たしてこうやって車を運転してここまでたどり着けるのか、なんて思ってしまう。よって、今の身にとっては、この灰ヶ峰に限らず、常に「一期一会」のつもりで、いろんな出来事に思いを馳せている、っていうのが実情だ。だがら今回も、この眺望をしっかり目に焼きつけて、いっぱい写真を撮って、再び下界に帰っていったのであった(;^_^A