神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「昭和世代」侮るなかれ!

 また今年も「昭和の日」を迎えた。これも毎度書いていることだが、おそらく「戦前の昭和回帰」を画策して為政者が勝手に「みどりの日」を「昭和の日」に変えたってのがいきさつだろうが、どっこい我々の世代にとっては、戦後から始まるテレビ・映画豊かなりし頃を回顧するという意味で、この「昭和の日」を歓迎する(;^_^A

 

 現在地上波では、(福田雄一監督作品を除き)昭和世代ではついていけないドラマが幅を利かせている。それこそ近年は、剛力彩芽主演の『女囚セブン』くらいしか毎週楽しみに観ていたドラマはなかったな(それもラスト前まで)。昭和の時代の、豪快な刑事ドラマ(アクション)、(猟奇)サスペンス、とことんまでおバカなナンセンス、バカバカしいまでに熱のこもったドロドロの愛憎劇、なんてものはすっかり鳴りを潜めてしまった。一時期香港ノワールや韓流ドラマがもてはやされたのも、そんな昭和の香りを“純粋培養”したようなドラマが今の時代に再現されたからに他ならない。それは20世紀末のピンク映画(それもフィルム制作のもの)にも感じ取ることができた。

 

 そんな昭和世代のよすがになっているのが、往年のドラマを流すBS・CSであり、また商品化されたレンタルDVDであったりする。まあ、昭和世代は時が経てば自然に淘汰されるわけだし、新たな需要は見込まれないから、今あるものをとりあえずたらい回ししていけばいいだけのことだ……いや、ちょっと待て! これからは平均寿命が延び、少子高齢化が加速していく日本だ。人口における老人の割合が多くなる一方だ。しかもそんな高齢化の中核をなすのが、戦争を知らず、高度成長の中で生まれ育った、まさに昭和世代だ。

 

 となると、この世代が人口の大半を占める中、これをビジネスチャンスにしない手はない。だったら、そんな昭和世代がこぞって観たいと思う往年の昭和映画・ドラマをどんどんソフト化するべきである。その方が需要が見込める。

 

 とどのつまり、出し惜しみせず、どんどんそんな映画・ドラマをソフト化&商品化しろ、てこと。その筆頭として、早く『こんな学園みたことない!』が観たいぞ!!(;^_^A

 

「尾道三部作」の“三社参り”

 今日は、職場の“仕事”で尾道へ。その間、自由時間を利用して、同僚と尾道の街を散策した。短時間故、そんなに巡ることはできなかったが、それでも、故大林宣彦監督の作品ロケ地をいくつか見ることが叶った。

 

 まずは千光寺公園から徒歩でくだり、「艮神社」へ。ここは御存じ『時をかける少女』の有名なロケ地だ。

 

 

 続いて「茶房こもん」をかすめて、「御袖天満宮」へ。ここは最初、JR山陽本線沿いだと勘違いしていたが、同僚のスマホで検索したら、実は千光寺ロープウェイ乗車口の近くにあることに気づき向かった次第。尾美としのり小林聡美が転がり落ちた階段を登るのは、我が老体には堪えたが(;^_^A 天満宮から見下ろす急な階段に、あの『転校生』の有名なシーンがすぐに脳裏に浮かんだ。

 

 

 

 それから、尾道水道に足を運び、福本渡船の船着き場に向かった。流石に「西願寺」は遠かったが、ここも、『さびしんぼう』でセーラー服姿の富田靖子が登下校で乗り込む有名なロケ地だ。それに何といっても、この渡船の愛称「一円ぽっぽ」は、我が映画制作団体の名称でもある。

 

 

 

 奇しくも今回は、『転校生』『時かけ』『さびしんぼう』という、大林監督の“初代”「尾道三部作」のロケ地の“三社参り”(一か所は“社”じゃなかったけど(;^_^A)となってしまった。今回共に散策した同僚は、そんなに映画に詳しくないものの、この三部作の、それも今回巡ったロケ地でのシーンをよく知っていて、それに関していくつも質問を投げかけてくれた。それにいちいち答えられる私もどうかしているが(;^_^A、何か嬉しいひと時を過ごすことが出来た。

 

 いつもは家族を車でここまで連れてきて、しかも「こもん」のワッフルを食べたら出発、なんてことばかりだったが、今回のように、別の交通手段を用いて駐車の心配のない中、歩きで各ロケ地を巡れたのは、実に新鮮だった。なんだか、我が心の中の“尾道愛”“ファンタジー愛”に再び火が付いたような思いだったよ(;^_^A

自主映画の「温故知新」

 「温故知新」とは「古きを温(たず)ねて新しきを知る」。この言葉を残した、中国を代表する思想家・孔子の弁によると「古典を学んで、その中に現在に通用する価値観を見出す」という意味なのだそうだ。ようは「古典に学べ」である。 

 

 今では「インディーズムービー」という小洒落たネーミングが闊歩しているが、元々は「小型映画」とも「自主映画」とも呼ばれたこの世界は、ビデオカメラが普及するまで、主に8ミリフィルムによって撮られていた。 


 もっとも、1980年代前半に、エルモ社が最後の映写機「ST180」を販売したのを最後に、8ミリフィルムの撮影機も編集機も、フィルムをつなぐスプライザーも、中古市場でしか手に入らないものになってしまった。かつて8ミリフィルムの機材を販売していた「ELMO」「GOKO」「LPL」といったメーカーの名を目にすることもなくなってしまった。 


 しかし「レトロ通販」等の頑張りによって、8ミリフィルムは未だその生存を永らえている。それこそ、本来ミリフィルムにとって代わって登場したはずの8ミリビデオも、デジタル8も、そしてその後継規格だったDVさえも、今やその存在は「風前の灯火」である中、8ミリフィルムだけは、未だ健在である。 


 わかもの映画祭に出品した『THE 争奪戦っ!』以降、すっかり新作制作が滞っている身ではあるが、決して創作意欲が衰えたわけではない。できれば、近く新作の制作を開始したい、そんな願望を常に持ち続けていおる。 


 しかし、そんな今だからこそ、一旦原点に立ち返って、8ミリ時代の作品に思いを馳せてもいいかな、なんて思ったりする(;^_^A 


 映写機の不備や、テレシネした時の劣化などを鑑みるに、今のうちにしかるべき措置を施したうえで、積極的に公開していかなければ、との焦燥に駆られるときもあるが、まずは8ミリフィルムの存在を是非体感してほしい。そんな機会になるイベントが開催できれば、て願っている。

「らしい広島」「らしくない広島」

 先日のギャレット氏の逝去の報を受けてから、広島東洋カープは“らしくない”勝利を続けている。昨晩の試合など、8回裏に中継ぎ陣の乱調で一挙6点の反撃を喰らい受け、8-2の楽勝ペースが一気に同点と、ここ最近の広島を象徴する“らしい”展開になってしまったが、続く9回に母校のスラッガー・中村奨成の2塁打から速攻で勝ち越しとその裏の栗林の快刀乱麻の三者三振で“らしくない”連勝を呼び込んだ。これも天に召されたギャレット氏の思し召しか……

 

 一方昨晩投開票された参議院再選挙では、「結集ひろしま」の野党候補が当選した。これは“保守王国”(何と情けない呼称)といわれる広島県”らしくない”選挙結果で、ついに自民党議員を締め出した。もっとも、投票率は、前回の参院選にも満たない30%前後の結果。ここらあたりは、残念ながら“らしい”投票率だった。

 

 野球にしても選挙にしても、今までの広島の“らしい“悪習から脱却してもらいたいものだ。特に全国の笑いものになっての再選挙でこの投票率なんて、「広島の有権者は政治なんてどうでもいい、いい加減な輩」ってレッテルを張られてしまうぞ。新型コロナ禍のせいにするな!! 何とかせんと!!

 

勝利呼ぶ広島・中村奨成の“フェン直”二塁打「かなり緊張」 監督「よく打ってくれた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/4196ed9c60baa6792ff6af0fd18e4fdd29c29825

 

「巨人8-9広島」(25日、東京ドーム)

 広島の中村奨成捕手(21)が勝ち越しを呼ぶ一打を放った。
 8-8の九回に代打で出場。中川の高め146キロ直球を振り抜き、右翼フェンス直撃の二塁打を放った。「かなり緊張していた。追い込まれていたので、何とかくらいついていきました。チームとして同点に追いつかれた後の次の回だったので、チャンスを作ることができて良かった」。好機を演出すると1死三塁から菊池涼の中犠飛で勝ち越しのホームを踏んだ。
 八回に6点差を追いつかれていただけに、再び流れを引き寄せる価値ある一打となった。佐々岡監督は「追いつかれて嫌な雰囲気の中、奨成(中村)があの一振り。よく打ってくれた」とたたえた。
 16日の中日戦ではプロ初安打を放ち、本職の捕手だけでなく、外野や三塁にも挑戦しているプロ4年目が役目を果たし、勝利の立役者となった。


投票率わずか33・61%、19年を11ポイント下回る【再選挙4・25参院広島】
https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=748289&comment_sub_id=0&category_id=1301

 

 

「ギャレットの味がしますワ」

 元広島のギャレット氏が死去、78歳 70年代後半広島黄金時代支える
https://news.yahoo.co.jp/articles/4fec061c312a91e063fbc00ffe4c493dee96ed51

 

 1975年に奇跡の初優勝を遂げた広島東洋カープ。だが、75年の優勝が、それまでのヒストリーを考えると全くもって“奇跡”だっただけに、次の優勝はいつ、なんて考える余裕もなかった。案の定翌年は3位だったし。それだけに79~80年のセリーグ及び日本シリーズの連覇は全く以て想定外の出来事だった。そんな79年日本一の立役者の一人でもあるエイドリアン・ギャレット氏の訃報を知り、改めて氏の思い出を考えた時、脳裏に浮かんだことがある。

 

 

 あれは78年のオールスター戦。その年は旧広島市民球場での開催だったが、そこでギャレットは1試合3ホーマーの快挙を成し遂げ、見事最優秀選手賞を受賞した。その日、市民球場を見下ろす位置に隣接しているダイイチ(現エディオン)本店ビル屋上のビアガーデンに陣取って、遠巻きにオールスター戦を観賞していた客が、テレビの取材に対し、ほろ酔い気分で「今日のビールは『ギャレットの味』がしますワ」って豪語していたことが、何故かふと頭に浮かんだ。ギャレットに対する思い出はいっぱいあったはずなのに……(;^_^A

 

 初優勝に貢献したホプキンスとシェーン(シェインプラム)が退団した後、ライトル(ライト、ライトル!)と共に入団したのがギャレットだった。シュアなバッティングセンスで堅実に活躍し、カープ退団後も南海ホークスでプレイしたライトルに対し、ギャレットは、大きいのは打つがやや粗いバッティングの選手、っていう印象が入団当時はあった。だが、その「大きいの」の方が日増しに炸裂して、すっかり「ホームランバッター」のイメージが定着した。

 

 そして、外国人選手には珍しい、捕手としてプレイしたことも印象に残っている。今でいうドラゴンズのマルティネスのような活躍だが、当時としては実に斬新だった。覚えているのは、旧市民球場で、今よりウンとカジュアルに試合観戦が出来た頃、しばらく試合を見聞きせず、久しぶりに行った市民球場の外野席で、スコアボードのラインナップのギャレットのところに、捕手を示す「2」の数字が入っていて驚いたことを覚えている。その時は「当て馬か?」って思って、本当にギャレットがレガーズとプロテクターを装着して二度ビックリだったよなぁ……(;^_^A

 

 

 当時は、カープの“助っ人”外国人選手の入団は「県民の話題」と知ってもおかしくないくらいの関心事だった。だから私も、74年以降、「マクガイア」「ヒックス」「ホプキンス」「シェーン」「ギャレット」「ライトル」「フィルキンス」「アイルランド」「ディプリー」「ランス(ランセロッティ)」「ジョンソン」「レーシッチ」「アレン」「ヤング」「メディーナ」「ミンチー」「ロペス」「ディアス」「ダグラス」辺りまでの名前は憶えている。そんな中でも、「ギャレット」の印象は他の選手よりも強い。見た目は典型的な「ヤンキー」だったが、そんな彼が、被爆地でもある広島にどのような思いで来日したのか、今となっては知る由もないが、どうも高橋慶彦をはじめ、当時のメンバーとは未だに交流があったようで、昨年も「もう一度日本に行きたい」と来日を熱望していたようだ。それだけに今回の訃報は残念で仕方がない。

 

広島OBギャレット、高橋慶彦氏がオンライン同窓会
[2020年8月29日16時34分]
https://www.nikkansports.com/baseball/news/202008290000363.html?utm_source=headlines.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%8F

 

 彼の訃報が舞い込んできた4月24日の対讀賣戦は、前夜の“九里見殺し”の展開が嘘のように、打線が効率よく、手術から復帰した先発の高橋昂也を援護して、彼に久々の勝利をプレゼントした。それまでのふがいない闘いっぷりから、この3連戦は3連敗も予想していたのに、これで何とか一矢報いることもできた。不振の3・4番にもホームランが飛び出した。それもこれも、天国のギャレット氏の思し召しか、それとも稀代の助っ人の“弔い合戦”と選手が奮起したのか、それこぞ知る由もなのだが、カープ球団選手には、ギャレット氏に恥じない活躍を今後魅せてほしい。天国で79年メンバーのギャレット氏と衣笠氏が見守っていることだろうから……合掌

 

【広島】高橋昂也、1031日ぶりの勝利「また1軍で投げることを夢見て頑張ってきた」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ab574817ebb0650ea5f2e128b953ed47145ebf9

広島県民の“自浄力”

 4月25日は広島県参院再選挙。それに向けては、投票率を挙げるべく、多くの方が尽力されていると思うが、今回のポスタービジュアルについて一言。
 
 今回のポスター(チラシ)を見て、正直“違和感”を覚えているいる。それはセンスの稚拙さというよりも、恣意的な何かを感じるからである。
 
 
 このポスタービジュアルは、マスクをした若い女性の横に、平仮名で「だまっとれん。」の一言。これはマスク生活を余儀なくされる中での選挙、要はコロナ対策も考えろ、とのメッセージにとれなくもないが、まずマスクってのが引っかかる。今、マスクを強いられて、いい加減マスクに対して不快感から憎悪の念まで抱きかねない有権者にとって、このビジュアルは政治不信以前に選挙そのものへの“嫌悪”を抱かせてしまう。「マスクはもう結構、見たくもないのに……」という心理だ。またマスク姿は、コピーとは裏腹に「黙っとれ」のイメージを増幅させる。だからあたかもこのビジュアルは「県民は口(思考)にマスクをして『だまっとれ』」のイメージなのだ。そう考えると、うがった見方をすれば、県を挙げての“参院選潰し”だといってもい。
 
 だが、今回の選挙は、政権与党の不正候補を国政にのこのこ送りだしてしまい、全国の笑い者になってしまった広島県民が、その自浄作用を問われる選挙でもある。投票拒否・白票投票はは決して「政治不信」の自己主張ではなく、時の為政者への「隷従」に他ならない。
 
 だから広島県有権者は、明日の選挙に必ず投票へ行こう!!! 私は今日のうちに、家内ともども不在者投票を終えております(^^)

寄る年波……

 新しい職場の仕事場が5階になったため、今年度から毎朝せっせと階段を上っている。その上時間によってその5階から3階、もしくは5階から2階の往復を繰り返しているせいか、ここん所、ひざの関節がむくんで仕方がない。

 

 

 そういえば、最近運転中にハッとすることが多くなったり、目の病(白内障緑内障)の影響からか、いろんなものが見えづらくなってきた。耳が遠いのは以前からその兆候があったが、これまた最近ひどくなってきたようだ。体力といい、運転といい、目や耳といい、全て映画制作には欠かせない「基礎力」なだけに、とても不安に思っている。

 

 まあ、もう歳も歳なんで、体のいろんなところにガタが来ても仕方ないんだけれど、今年度になって何だか一気にひどくなったような気がして、ちょっぴり怖い。

 

 今更ゼロから体を鍛え直すわけにもいかないので、今は不摂生(過度の飲酒や睡眠不足)を出来るだけ避けるようにして、少なくとも現状を維持できるようにしなければ……なんて考えながら、こんな深夜にハイボール片手にブログ書いてるようじゃ、全く説得力がないなぁ……ヾ(- -;)

チャンピオンまつりの復活はいつ?

 このチラシは、今から7年前に、拙作『特命探偵☆葛城アキ~郷土の怒りをぶちまけろ~』が東京の「B.DASH+上映会」にて上映されたもの。このチラシのビジュアルにあるように、ガールズアクションを中心にした上映イベントで、今思えば「広島発ヒロインアクションまつり」の魁のようなイベントだった。

 

 

 新型コロナ禍によって、昨年3月の上映が延期になって以来、未だ開催に漕ぎ着けていない「広島発ヒロインアクションチャンピオンまつり」だけど、今年中に何とか開催したいものだなぁ(;^_^A

 

「カナダ」からの「後ろ」からヾ(- -;)

 昨晩(今朝?)の「ヴァイナルミュージック歌謡曲2.0」の冒頭で、「カナダからの手紙」が流れた。言わずと知れた、1970年代後半に爆発的ヒットとなった、平尾昌晃御大(『必殺!』)と畑中葉子によるデュエット曲だ。当時、一弟子に過ぎなかった畑中葉子が、いかにして“先生”とのデュエットデビューの座を勝ち取ったのか……それには様々な“芸能界の裏事情”が絡んでいるんだろうけど(;^_^A そんな憶測はさておき、清純派歌手として華々しいデビューを飾ったはずの彼女が、結婚というプロセスはあったものの、何故いきなり芸能界を引退し、しかも1年も経たないうちに離婚して改めて復帰し、そしてあろうことか日活ロマンポルノに主演するとは……実に激しい振り幅の人生を歩んだものだ。

 

 

 彼女は1980~1981年の間。『愛の白昼夢』『後ろから前から』『モアセクシー・獣のようにもう一度』『セクシー―ぷりん・癖になりそう』といった4作品のロマンポルノに出演している(『徳川の女帝大奥』にも出演しているが、これは「ロッポニカ」のカテゴリーなんで除外)。また復帰シングル曲の「後ろから前から」が下世話な歌詞ながら大ヒットした。曲自体は五月みどりの「熟女B」並みにイロモノ歌謡ながら、サンドラ・ジュリアンの「ジュテームはさよならのはじまり」(『徳川セックス禁止令色情大名』)、梶芽衣子の「恨み節」(『女囚さそり』)・「修羅の花」(『修羅雪姫』)に匹敵する、映画挿入歌としての稀代の女“艶歌”といえるかもしれない。

 

 

 

 ところで、この「後ろから前から」は同名の『後ろから前から』の主題歌と思われがちだが(一応冒頭では流れるが)、初出はその前作(彼女のロマンポルノデビュー作)『愛の白昼夢』である。それにしても、曲のヒットから同名の作品が制作されるなんて、渡哲也の『東京流れ者』や一連の裕次郎映画を彷彿させる。アクションからロマンポルノに、その作風は変わっても、同じ日活(にっかつ)なだけに、やってることは一緒なんだなぁ(;^_^A

 

 

 ちなみに、平仮名表記の「にっかつ」にロマンポルノのイメージが付きまとうが、確か漢字表記の「日活」がいつの間にかロマンポルノの代名詞のようになってしまったから、その雰囲気を変えるために「にっかつ」に変えた、って記事を、当時スポーツ紙の三面記事で読んだ記憶がある。そしてその頃、一般映画も数本とっていたものの、「にっかつ」名義でのロマンポルノ作品も引き続き量産したため、逆に「にっかつ」の方が「日活」以上にロマンポルノの代名詞になっていったようだ。まあ、別にどうでもいい話だけどね(;^_^A

アルコールという“ドラック”

 今年度に入って、職場も変わってどうも落ち着かない日々を送っている。そのせいか、絶えず不安が脳裏をよぎって、自宅に帰ってもずっと不安が続き、気が付けば、入浴後就寝前に、ハイボール片手にPCに向かっている時が唯一気分が紛れる“ひと時”になっていた。パソコンデスクの横に渦高く積み上げられた酎ハイの空き缶を見るにつけ、これは由々しき問題だと、これまた頭を抱えている。これじゃあ「アルコール」というドラックの中毒に陥っているのと同じだ。まあ、隔日で休肝日を設けているから、まだ何とか持ちこたえているけど。

 

 現在首都圏では、アルコールの販売について時間規制が設けられようとしている。またWHOの提言から、「呑み放題」のサービスが廃止の憂き目に遭おうとしている。これは逆の意味で由々しき問題だ。もし「呑み放題」がなくなったら、おそらく焼肉店にもしゃぶしゃぶ店にも創作居酒屋にもいかなくなるだろうな。だってビール中ジョッキ400~500円なんて高すぎるよ!

 

 ただ、たまの「呑み放題」では、1000~1500円の飲み代を無駄にすまいと、大抵生ジョッキ5杯、ジンジャーハイボール3杯、麦の湯割り3杯、麦のロック2杯、梅酒ソーダ割、梅酒ロック、コークハイぐらいは一気に飲んでしまうから、コストパフォーマンスはいいだろうが、身が持たなくなってしまうヾ(- -;)

 

 

 「酒を死ぬまで呑み続ける」というテーマの『リービングラスベガス』(ニコラス・ケイジ主演)に憧れるが、まだ身を亡ぼす時ではない。そう考えて自制していかなくては……