神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

昭和プロレスに思いを馳せて ~我が観戦記録~

 去る今月19日は「プロレスの日」だったんだそうだ。それでピンと来たのは力道山の「プロレス国際試合」。それで検索したら案の定、1954年のこの日、今は亡き、そして昭和プロレスファンにとってその名が何ともなじみ深い「蔵前国技館」で、初のプロレス国際試合「力道山木村政彦組vsシャープ兄弟」の一戦が開催された。プロレスファンにとっては凄い記念日だったんだなぁ(;^_^A

 ところで、青春期を昭和の時代にどっぷりつかっていた私は、ご多分に漏れず根っからの「プロレスファン」。当時の青少年は大抵この「プロレス」と「特撮」にハマっていたもんだ。もっとも大抵の者が成長と共にこれらを“卒業”していくものだが、私の場合、両方とも「昭和」と共に未だ引きずっている(;^_^A  最近でもBSやCSでプロレスを放映していると、新日でも全日でもドラゴンゲートでもつい観てしまうし、テレ朝チャンネル日テレジータスなどで往年の昭和プロレスを放映しようものならばテレビに釘付けになってしまうし、気に入ったカードならば録画も欠かさない(;^_^A

 

 子供の頃は住んでいた地域のネット局の都合で、TBSの国際プロレスから観始めたが、やがてNETの「ワールドプロレスリング」が始まって、初めてアニメ(テレビマンガ)の『タイガーマスク』でしか知らなかった猪木の生の姿を見ることができた。やがて父親の転勤で広島に戻って、ようやく日テレの「全日本プロレス中継」で馬場の方も“生”を見れた。でも全日本の中継は「8時だョ全員集合」や『人造人間キカイダー』『キカイダー01』『デビルマン』『ミクロイドS』『キューティハニー』と放映枠が重なっていたんで、専ら金曜8時新日本の方をよく観ていた。今にして思うと、上記の子供向け特撮&アニメを放映してたのはNETが前身のテレビ朝日だったんで、それを『全日本プロレス中継』の時間帯に敢えてぶつけて、子供のプロレス視聴者を根こそぎ奪おうとしたテレ朝のえげつなさが垣間見られるなぁヾ(- -;)

 

 昭和50年代は、スペシャル枠で放映されていた猪木の異種格闘技戦に熱中し、その後一時期プロレスからは離れたが、天龍源一郎がSWSに移籍した頃からまた興味を持って、深夜枠に追いやられたプロレス中継を録画して翌日観たり、週刊ゴング週刊プロレスを買いあさって読んだり(どちらかといえば週ゴン派だった)、プロレスのムック本も欠かさず買っていた。そして現在に至っている。

 

 実際に生でプロレスを観戦したのは全部で3回。最初は1981年4月10日、今は広島グリーンアリーナに様変わりした広島県立体育館で、全日本プロレスの試合を、馬場ファンの同級生に誘われて観戦した。その日馬場はキラー・ブルックスとのシングルマッチで十六文キックを炸裂させ、メインイベントは何とアブドーラ・ザ・ブッチャーvsブルーザー・ブロディシングルマッチ。案の定、試合は場外乱闘の流血戦となり、結局10分も立たずに両者リングアウト負けの結末だった。

 

 

 次に観戦したのは、それからずいぶん経っての1992年6月2日に広島サンプラザで開催された新日本プロレスの「'92クラッシュ・ザ・スーパーヘビーⅢ」。この時はプロレス大好きな叔父に連れられての観戦で、セミファイナルは橋本真也vs飯塚孝之、メインイベントは武藤敬司蝶野正洋vs長州力&野上彰戦だった。確か武藤が流血して顔面が真っ赤になり、それがまるでグレートムタのような形相で、結局その後の武藤のムタばりのラフファイトで武藤・蝶野組が勝利したんじゃなかったろうか。

 

 

 そして今のところ、最後の観戦となっているのが、1995年2月12日に広島市佐伯区スポーツセンターで開催されたWARの「革命鳴動'95 最終戦」。これも上記の叔父貴のおかげで観戦できた。ようやくファンだった天龍のWAR初観戦のはずだったが、あいにく当時天龍が鎖骨骨折で欠場だったのは残念だった。対戦カードは、剛竜馬vs板倉広という「元パイオニア戦志」対決や、足だけ異様に細い元力士・太刀光修vs全日、新日で活躍したタイガー戸口ことキム・ドクの対戦、ウルティモ・ドラゴンvsドウ・カラスの豪華過ぎるジュニア決戦、そしてメインイベントは冬木弘道&邪道&外道の「冬木軍」vsアニマル浜口北原光騎平井伸和(日プロ「ミツ・ヒライ」の息子)の3メンタッグマッチだった。メインにしてはやや小粒のカードだったが、“反骨心”の冬木も天龍同様ファンだったし、アニマル浜口が生で見られたりしたので、まあ満足できる観戦だった。

 

 ちなみに観賞時のチケットを未だ保管していた(とはいっても最近の部屋整理でたまたま見つけた)のは、92年の新日のものだけで、後は開催時期も失念していたのだが、ネットにおける国内プロレスのデータは実に豊富で、後の試合日程はすべて検索によって確認できた。何とも有難い話であるm(_ _)m それと、元々テレビ中継がなかったWARは除くとしても、1981年の全日も、1992年の新日も、共にたまたま「全日本プロレス中継」「ワールドプロレスリング」(当時は既に深夜枠)で録画中継されたので、テレビで再度観賞できたのは有難かったな(;^_^A

 

 最近は「猪木は馬場をなぜ潰せなかったのか: 80年代プロレス暗闘史」を読みながら、70~80年代の昭和プロレスに思いを馳せているが、“ヒロインアクションブログ”を標榜している「神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~」でも、「プロレス」の話題は日頃から定期的に掲載しているので、またいずれ言及していきたい(^^)

 

菊池桃子と斉藤由貴 ~初代麻宮サキを巡る可能性~

 先日、斉藤由貴の楽曲に言及した、歌謡ポップスチャンネルの「80年代アイドルソングベストテン」だが、その前に放映されたのは菊池桃子の特集だった。

 

 

 彼女のシングルといえば、「雪にかいたLOVE LETTER」「BOYのテーマ」「もう逢えないかもしれない」辺りの印象が深いが、何といっても一番印象に残っているのが「卒業 -GRADUATION-」だ。この曲は、斉藤由貴の時にも触れたが、当時彼女や倉沢淳美尾崎豊とタイトルが“競作”となったものだが、その中でも菊池桃子のそれが一番印象的だ。それは、当時日テレの「水曜ロードショー」の枠で、この曲をモチーフにした、彼女主演によるサスペンス風の2時間ドラマが放映されたことが影響していると思う。このドラマ、実に面白く、且つ菊池桃子の魅力全開で、ベータのビデオに録画して、何度度も何度も何度も……観賞したもの(;^_^A

 

ジャケットの制服は、ドラマ版と同じもの

 

 さて、“競作”と共に、件の斉藤由貴と同時代をアイドルとして活躍した菊池桃子。それならばと、ふとこんな“妄想”を抱いてしまった。それは「菊池桃子に“スケバン刑事”の可能性はなかったか?」というものであるヾ(- -;)  

 

※以下の文章には何の根拠も資料もなく、あくまで“妄想”であることをご了承ください(;^_^A

 

 フジテレビ系で企画された『スケバン刑事』。その主人公に当初抜擢されたのが宇沙美ゆかりであったことは、有名な話だ。しかし彼女に映画『Vマドンナ大戦争』主演のオファーが来たため急遽降板となり、慌てたスタッフが次に白羽の矢を立てたのが斉藤由貴だった。その際、菊池桃子にオファーがなかったのだろうか? こんなことを書くと「百歩譲って斉藤由貴でも、菊池桃子は流石に無理でしょ」って言われそうだが、そう思う人には、あのドラマが制作された1986年当時の芸能界の世相を知らないからだと思う。

 

 「卒業」が競作された1984年度末当時、斉藤由貴はブリブリの“虫も殺さない”アイドルだった。出自も「ミスマガジン」と超一流。CMでも引っ張りだこの典型的な”清純派”。それ故、彼女の『スケバン刑事』主演は、薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』以上にあり得ないことだった。

 

 翻って、菊池桃子は、表紙を飾ったのが「ミスマガジン」と比べたらマイナーな男性系“青春”雑誌「Momoko」だったり、映画デビュー作が、かの鈴木則文御大の“エロス””スカトロ”満載の青春グラフィティー『パンツの穴』だったりと、デビュー当時は“イロモノ”街道まっしぐらだった。その上、おそらく『パンツの穴』では鈴木監督にさぞかし“鍛えられた”であろう。そう考えると、どうしても当時は“ズベ公”っぽくて“泥臭い”イメージのあった『スケバン刑事』に、“サラブレッド”の斉藤由貴よりも“叩き上げ”の菊池桃子が抜擢される方が、今思えばしっくりくるような気がする。それでも「菊池桃子に凄みは無理でしょ」って意見もあるだろうが、実のところ、『スケバン刑事』に出演する前の斉藤由貴は、菊池桃子とほとんど変わらない“ブリッコ”だったんだから(;^_^A

 

 まあ、“泥臭い”とはいえ、フジの全国ネット帯ドラマに出演するステータスが高かったとか、もしかしたら撮影時期が日テレ2時間ドラマ『卒業』と重なっていたとかの要因があって、結局斉藤由貴が「麻宮サキ」の役を射止めたのかもしれないけど、もし菊池桃子が「てめぇ、許さねぇ!」「2年B組麻宮サキ、またの名はスケバン刑事!」ってヨーヨー片手に悪党に凄むシーンも、是非観てみたかったなあ……ってあくまで“IF”の話だけど(;^_^A

 

この制服でこの表情で、啖呵を切ってほしかった(;^_^A

 

 取るに足らない“妄想”だけど、当時のアイドル界の雰囲気をリアルに知る身としては、一応触れてみたかった可能性である(;^_^A

“メタモルフォーゼ”する斉藤由貴

 歌謡ポップスチャンネルでも、日本映画専門チャンネルと同様“80年代アイドル”に特化した企画が進行中で、そのカテゴリーである「80年代女性アイドルソングベストテン」では、小泉今日子菊池桃子と続き、斉藤由貴も登場した。

 

 

 今の私にとって、斉藤由貴とは、スケバン刑事“初代”麻宮サキ以外の何者でもないんだけれど、今回のような番組を見ると、それは鮮烈でありながらも彼女の芸能人生のほんの一部に過ぎないことがよくわかる。それにトレードマークのセーラー服だって、彼女はデビュー当時から“清純”のもののの姿で見事に着こなしていて、あのいい意味で野暮ったい「スケバン刑事」の姿は一過性のものだった。そういうことで、確かに“スケバン刑事斉藤由貴”なんだけど、逆に“斉藤由貴スケバン刑事”とは言えない、彼女の多様性を、この番組は垣間見させてくれた。

 

 デビュー曲にして、かの菊池桃子(他に倉沢淳美尾崎豊)と同時期の“競作”となった「卒業」から始まって、件の「スケバン刑事」主題歌として我々にとっては今でも“金字塔”の「白い炎」(今思えばセカンドシングルだったんだね(;^_^A)、そして東宝映画『雪の断章-情熱-』の主題歌「情熱」に、アニメ『めぞん一刻』主題歌の「悲しみよこんにちは」と続く一連の曲は、今もしっかり覚えている。その後も彼女の主演した映画の主題歌が続いた。

 


 彼女の凄いのは、『スケバン刑事』で心の闇と悲壮感を漂わせ、獣のようにギラギラした眼を見開いて、目いっぱい啖呵を切り、そして闘い続けるヒロインを演じたかと思えば、それとは全く逆の等身大の恋多き娘や、話から知り頃の黒柳徹子をコミカルに演じ切るなどの、良い意味でつかみどころのない演技力に尽きる。しかも、彼女のその後のフィルモグラフィーにおいて『スケバン刑事』のようなアクションは(コミカルな設定のものも含めて)皆無だし、この一作限りでまさにものの見事に“虫も殺さない娘”に“着地”した点である。これに関しては、二代目麻宮サキこと早乙女志織役の南野陽子との比較で顕著である。南野陽子はそれでも彼女のキャラクターを滲ませながら「スケバン刑事」を演じていたし、その後も『はいからさんが通る』」のように、活動的というか俗にいう“おきゃん”なキャラも演じ続けている。それに対して斉藤由貴は前述のように以後一度も「麻宮サキ」を感じさせる演技を、パロディーでも演じていない。彼女にとっては本作とその前にフジの「月曜ドラマランド」の枠で制作放映された『野球狂の詩』の水原勇気役くらいしか、男勝りの役を演じたことがないのではないか。よって、「スケバン刑事」は斉藤由貴を彩る一つの大きな要素ではあるが、決してそれが全てではない。そのことは、昭和60年代ヒロインアクションドラマファンとしても肝に銘じておかなければならないだろう(;^_^A

 

 

 今回の「ベストテン」の最後を飾ったのは、井上陽水の往年の名曲をカヴァーして、彼女にとっても最大のヒットとなった「夢の中へ」。これを久しぶりに聞いて、彼女が『ゴジラvsビオランテ』に出演していたことを思い出したよ(;^_^A 確かゴジラの大阪上陸のシーン(ゴジラ目線?)で、いきなりこの「夢の中へ」のイントロが流れ始めたかと思ったらいきなりプツンと切れて、斉藤由貴のあの舌っ足らずな声で、コンサートに中止と共に、ゴジラの上陸と観客避難を呼びかけるMCが流れ出すのだ。その間彼女の声しか流れないんだけれど、この“サプライズ”にはびっくりしながら嬉しくなってしまったよ(;^_^A  本作を演出した大森一樹監督の映画に出演していた縁で、急遽決まった“カメオ出演”だったようだけど(;^_^A

 

 

『粉雪』と走れ歌謡曲

 最近、断続的に部屋の整理をしていて、その都度いろんな発見がある。先日は、しばらく“置物”と化していた、かれこれ30年以上も前に購入したステレオを使えるようにして、それで昔ながらのレコードやカセットテープが聴けるようになった。

 

 それて、これも眠っていたLPレコードやカセットテープの“掘り起こし”をしたわけだけれど、その過程で、以前から探していた楽曲と巡り合えることが出来た。それは「早世ひとみ』という演歌歌手の『粉雪』という歌謡曲だ。

 

 

 今を遡ること1980年代初頭の高3時代、深夜(早朝)のラジオ番組「走れ歌謡曲」に弩ハマリしていた時期がある。まあ、このことに関しては以前も話題にしていたし、いずれがっつり郭泰ことがあるんで、細かいことを後に譲るとして、とにかくこの番組で、かなりの数の演歌を聴いた。それで今まで聴きなれなかった演歌にどっぷり浸かることになってしまったんだけれど、その中でEPレコードまで買ったのは、上記の『粉雪』だけだった。当時番組でも一押しの曲で頻繁に流れていたことや、デビューしての早世ひとみ嬢の切ない歌声が耳についたのが購入まで至った理由かな。

 

 最近、おおらく誰もがわかるであろう理由で、「走れ歌謡曲」にしっかり思いを馳せる機会が多くなって、それで無性にこの曲が聴きたくなったんだけれど、ネットやYoutbeで探しても一向にこの曲にヒットしない(同じ『粉雪』でもレミオロメンの方ならいくらでもヒットするのに(;^_^A)。それで半ば諦めていたところ、この度この曲を録音したテープが発見された……って、まるで地元RCCの「広島歌謡曲ナイト」に出てきそうなエピソードだな(;^_^A

 

https://radiko.jp/share/?sid=RCC&t=20200613182410

 

 そんなわけで、ホント久々にこの『粉雪』を聴いたが、何とも懐かしかったなぁ(;^_^A  この懐かしさはまさに30数年前の高校時代に“タイムスリップ”出来る恰好の”装置”となってくれた(;^_^A

 

 こんな歳になると、もう人生も先が見えてくるので、その分今まで積み重ねた過去に思いを馳せることが多くなってくるだろう。ただ、これもいずれ後述するが、そんな過去を垣間見させてくれる“装置”が時の移ろいと共にどんどんなくなっていくのは何とも寂しい。

 なんてことを書いていたら、もう「走れ歌謡曲」が始まる時間になってしまったよ(;^_^A

クラウンライター

 果たしてこれが2021年最初の“野球ネタ”としてふさわしいかどうか……(;^_^A

 

 新型コロナウイルス禍の先行きが不透明な中、NPB12球団は“無観客”の春季キャンプに突入して久しい。今年の話題としては、まさかの“マー君ゴールデンイーグルス復帰(おそらく期限付き)だが、私としては、そんな田中投手の球を今回初めて受けた捕手が、母校・広陵高校出身の太田光選手だったことかな(;^_^A 

 

 それはそうと、今回の話題は、現在沖縄でキャンプ中の我が地元広島東洋カープ。実はキャンプ期間中、決まって選手及びスタッフは従来の“赤カープ帽”ではなく、少しアレンジしたキャップを着用するんだけれど、今年のそのキャップのデザインを見て、ふと思い出すものがあった。それは「クラウンライターライオンズ」。

 

 

 

 クラウンライターライオンズとは、現在埼玉西武ライオンズの前身球団名である。元来1955年のセパ分裂時に、パシフィックリーグの一球団として誕生した西鉄クリッパーズが、翌年僅か1年で解散の憂き目に遭った同じ福岡球団の西日本パイレーツと合併して「西武ライオンズ」になり、しばらく隆盛を誇っていたが、某球団が画策した“黒い霧事件”によって戦力が大半ダウン、その結果西鉄が球団を手放して、1974年から「太平洋クラブライオンズ」に改称したものの、それも僅か3年で行き詰まり、その次にライオンズ運営に「クラウンガスライター」が名乗りを上げて誕生した球団である。もっともクラウンライター時代も僅か2年で、西武鉄道に買収された結果、ライオンズは九州を後にするのである。

 

 

 そんなクラウンライターライオンズになぜ思いを馳せたかというと、今回の広島東洋カープのキャンプ用キャップが、クラウンライターのそれと酷似していたからでる。当時通称“クラウン”と呼んでいた同球団のキャップは、赤を基調に正面だけが白く(80年代の阪急・近鉄球団のそれと同様)、その白い部分に赤いアルファベットの「C」と「L」がコラージュされていた。だからクラウンのキャップから「L」を取ったら、ちょうど今回のカープのキャップとおんなじになるのである。

 

 とはいうものの、今回のカープのキャンプキャップを見て、クラウンライターライオンズに思いを馳せる人が、この日本にどれだけいることだろう……(;^_^A

 


広島・森下 フリー打撃で鈴木誠、長野、クロン、田中広に投球
https://news.yahoo.co.jp/articles/40923911185e367991dae7dce9eaf5180bb1badb

おれ、夕子

 今、娘たちは相も変わらず『鬼滅の刃』に夢中だが、私の方は、あまり漫画には興味がない。本といえば専ら活字が中心で、こっちの方は“マニア”っていうくらい大好き(中毒?)だ(;^_^A

 

 そんな私も、学生時代は漫画にいくばくかの興味を持っていて、藤子不二雄の漫画単行本をいくつか集めたことがある。中でも藤子F不二雄による「少年SF短編集」は好きだった。その小学館版「藤子不二雄少年SF短編集 第2巻」に『おれ、夕子』という物語がある。

 

 DNAとRNAの操作によって、生きた人間を”宿主”に、亡くなった人間をメタモルフォーゼさせる、という“現代版フランケンシュタイン”とでもいうべきテーマの作品だが、宿主にされる側とする側の2人のプラトニックな恋愛感情が何とも儚く、娘の対する狂信的ともいえる父親の愛情も鬼気迫るものがあり、全編を通じて何とも美しくも切ない物語が展開していて、四ですっかり虜になってしまった。

 

 丁度その翌年、大学の映画論を聴講して、初めて映画を製作する機会に恵まれたんだけど、その最初の題材に大胆にも選んだのが、この『おれ、夕子』だった。漫画が原作故、特殊効果も必要だったが、処女作という“怖いもの知らず”の状況でもあって、何とか“勢い”で撮り上げ、学内のホールで上映する機会にも恵まれた。勿論学生時代の習作という点や、かなりアレンジを加えた(主に学生の技量でも撮れるように規模を縮小するなど)とはいえ、著作権も絡みそうなんで、おいそれと上映できるわけではないが、この一本を制作しなければ、今日まで映画を撮り続けることは出来なかったし、クライマックスの兄と妹(原作では父と娘)の対峙するシーンは、今観ても胸に迫る演技をキャストの2人が演じてくれたので、今でも印象深い。

 

 

 ちなみに映画制作時のタイトルは、人間が代謝によって別人に生まれ変わるという意味で『新“人”代謝』と名付けた。本家の『おれ、夕子』は既にアニメ化されているが、出来ることなら映画かドラマ化してほしい。ちょっぴり複雑だけれど、プロの現場でどんな作品に仕上がるか観てみたい気がする。

「こんな学園みたことない!」ソフト化に期待する“この胸のときめき”を!

 日本映画専門チャンネルで1月から始まった「プレイバック!アイドル黄金時代~80年代アイドル映画Collection~PART2」のラインナップについて、先日のブログで言及したけれど、実はその際に挙げた『パンツの穴』『ザ・オーディション』『夏の秘密』よりも、放映が決まったことに文字通り「胸が“ときめいた”」のは、今回のラインナップの中に『この胸のときめきを』があったことだ(洒落じゃないよ(;^_^A)。それというのも、こちらのブログで何度も話題に取り上げている奥田圭子の数少ない映画出演作品だからである。

 

 

 

 80年代にアクションドラマの主人公や大映テレビドラマのメインキャスト、そして数多の時代劇で活躍した奥田圭子の出演映画が、本作とデビュー作である『パンツの穴はな薔薇畑でインプット』の2本しかないというのは意外な話だが(その分歌やドラマ出演にウエイトを置いていたといえるかもしれないが)、そんな貴重な一本が、今回の「80年代アイドル映画Collection」のカテゴリーで放映されるとは……それまでのラインナップといい、この企画担当者とはとても気が合いそうだ(;^_^A

 

 昨年はくしくも、奥田圭子主演の時代劇や2時間ドラマを多く録画・視聴する機会に恵まれた。しかも単発の時代劇のみならず、この年末年始には、彼女がメインキャストの大映テレビドラマ『天使のアッパーカット』『おんな風林火山』が相次いで放映され、奥田圭子の露出が日増しに増えてきているような気がする。あいにく一部のBS放映を除き、そのほとんどがCSの有料放送なんだけれど、何だかこの雰囲気、勢いが、ここでも何度も話題にしている『こんな学園みたことない!』のソフト化や放映に繋がる道筋になってるんじゃないかって思えてならない……っていうか思いたい。

 

 上記の大映ドラマは過去に何度も放映されているようで、それ自体は大きな出来事ではないんだろうけど、こうやって、我々にしてみれば「奥田圭子繋がり」と関連付けてしまうこの2作品が立て続けにCSの電波に流れた事実は見過ごせない。無論これが、大映テレビ制作でもない、そしてTBS系とも違う『こんな学園みたことない!』のソフト化に直接つながるとは思いにくいが、こうやって頻繁にBSやCSで放映される80年代のテレビドラマにおいて、特徴的なルックスとたぐいまれなる演技力(特に泣きの演技)、そして和装も洋装もよく似合うスレンダーなボディーや鮮やかな身のこなしで多数出演している彼女の姿は、初見の視聴者にも、「この娘は誰だろう」て印象に残ってるんじゃないかな。ましてや彼女の活躍の時期が80年代に集中しているから猶更だ。

 

 もし仮に『こんな学園みたことない!』がソフト化できない理由(『ウルトラセブン』第12話や『怪奇大作戦』第24話のような)があるのだとしたら、制作会社・局サイドはそれをこのドラマのファンに明確に伝える義務があるし、もしソフト化に何の支障もないのならば、即座に我々が観賞できる環境を整えるべきである。本作のソフト化に向けての様々なアプローチがされているが、そんなファンの機運があること自体、ドラマに撮っても制作会社・スポンサーにしても幸せなことではなかろうか。局サイドとしても、海のものとも山のものとも知れぬ過去の番組を恐る恐る放映するくらいならば、確実にそれを待っているファンがいるドラマを放映する方がよっぽどリスクが少ないだろう。そうしないと、視聴率(ひいては契約獲得)アップのチャンスを逸してしまうかもよ。

 

 拙ブログが、そんな上部の関係者に読まれるとは思わないが、とにかくファンはそのような思いを持っていることだけは記しておきたい。

今日はバレンタインデー

今日の記念日は「バレンタインデー」だなんて、あらかじめ予想していましたよヾ(- -;)

 

 そろそろ、娘はおろか家内からも”義理チョコ”を期待できなくなった身としては、例年「バレンタインならぬフランケンシュタイン“タイン”」とか、『血のバレンタイン』:とかいったネタでお茶を濁すことしかできません( ノД`)

 

 まあ、バレンタインにチョコをって風習も、キリスト教国家とも呼べない日本の、商業ペースから生まれた儀式らしいし、「バレンタインさんが、自分の子供をキリストと同じ誕生日にしたく、それで十月十日を計算したら……」云々といった極めて“下世話”な情報も錯綜している。

 

 そんなバレンタインで、チョコと離れた宝くじ「バレンタインジャンボ」のCMで、吉岡里帆がマネキン相手になかなか妖艶な演技を噛ましていたのが印象的だったな(;^_^A

 

ブログ「神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~」13年目を迎え

 こちらに“引っ越す”前のyahoo!ブログを始めた頃から数えて、今年で「ブログ生活」13年目を迎えました(;^_^A

 

 当ブログ「神宮寺真琴のつぶやき」は、タイトルにも名を連ねる、拙作初のヒロインアクションムービー『天使諜報★神宮寺真琴~狙われた生徒会長~』のヒロイン名を拝借して、「ヒロインアクションムービー」に特化したブログとしてスタートしました。「神宮寺真琴」という名は、勿論東宝特撮映画『海底軍艦』に登場する、轟天号艦長・神宮司八郎大佐の愛娘・真琴の名を文字って命名したのですが、この「真琴」という名は、往年のNHK朝のテレビ小説『雲のじゅうたん』で、浅茅陽子演じる日本初の女性パイロットをモデルにした小野間真琴にも影響を受けています。それというのも、劇中彼女の頑固者の父親(中条静夫)が、息子を望んでいたのに生まれたのが娘だったので癇癪を起し、無理矢理娘でありながら男子名の「まこと」と名付けるといって聞かず、それを案じた家族によって、漢字だけは女性的な「真琴」にしたというエピソードがあり、まさに「男勝りの女性」にぴったりに名前だと思ったからです。

 

 そんなわけで、ブログ名に「真琴」と記したからには、どうしてもヒロインアクションに特化したブログにしなければ、との思いと、それ以前に元来ヒロインアクションムービー・ドラマが大変好きだったこともあって、当ブログは自らが手掛ける“広島発ヒロインアクションムービー”シリーズともに歩んできました。マニアックで非常に“間口の狭い”テーマのブログなんで、「誰が読んで切れるんだろう」って心配もあって、まずは自分自身が満足できればそれでいい、くらいの気持ちで始めましたが、有難いことに思いがけず多くの方々にアクセスいただいたり、コメントを戴いたりして、今日まで永らえることが出来ました。またいつもヒロインアクションばかりではネタに困ってしまったりするもんですから、いろんな映画のレビューとか、自分のフィールドであるインディーズムービーのこととかについても書き始め、いつの間にか他にも「プロ野球」であったり「旅」であったり「プロレス」であったり「世相」であったりと、様々なジャンルについても記述する“雑食系”のブログになっていきました。時には自分の思いを吐露するみっともない記述をすることもありましたが、その折には叱咤激励のコメントなどを戴き、支えていただきました。

 

 

 ここまで続けてしまうと、“辞め時”に悩むところなんですが、物理的要因(貧乏になってインターネット回線が使えなくなるとか)でもない限り、続けてしまうのかな、なんて思う反面、面倒くさくなっていつの間にかフェードアウトするように終わってしまう可能性も泣き詩にもあらずです。当面は「即身仏」の僧侶が死ぬ間際まで鈴を鳴らすように(;^_^A、毎日更新を繰り返しながら、継続の証にすることになりそうですね(;^_^A

“ボンカレーの人”と綾瀬はるか~演技派アクションヒロインの系譜~

 たまたま昨日の昼食がレトルトカレーだった(;^_^A

 

 実は私はこのレトルトカレーが大好きだ。レストランで食べるのより、申し訳ないが家内が手間暇かけて煮込んでくれるものより、断然レトルトカレーを支持している。敢えて書くとそれに一番近いのが、高速道路・サービスエリアのカレーライスだ。おそらく私の嗜好は“ジャンクフード”なんだろうなヾ(- -;)ヾ(- -;)

 

 それはそうと、レトルトカレーの元祖は何といっても「ボンカレー」..。「ボンカレー」といえば、今や沖縄県でしか販売されていない、初期のパッケージの松山容子の写真が一番印象的だ。だから彼女を勝手に“ボンカレーの人”なんてずっと思ってきたが、何を隠そう、彼女こそ、関西テレビドラマ『琴姫七変化』や松竹映画『〇くらのお市』といった時代劇で活躍した生粋のアクションヒロインなのである。以前そんなことを当ブログにしたためたことがあった。

 


  さて、広島っ娘にしてメジャーなアクションヒロインの側面を持つ綾瀬はるかだが、彼女のヒロイン(ヒーロー?)性が色濃く醸し出された『ICHI』という作品がある。本作は一般的に、勝新太郎主演『座頭市』シリーズの女性版と認識されているが、実は前述の『〇くらのお市』こそ、女性版『座頭市』の先駆けであって、『ICHI』はむしろ『〇くらのお市』のリメイクだといえなくもない。

 

 

 

 

 ところで、この綾瀬はるか松山容子にはある共通点がある。それは、武田梨奈清野菜名山本千尋といった“リアルアクションヒロイン”とは違い、己の身のこなしと演技力によってアクションヒロイン足りえる、いわば“演技派アクションヒロイン”のカテゴリーに於ける稀代の女優だという点だ(同カテゴリーには、『こんな学園みたことない!』『天使のアッパーカット』の奥田圭子も勿論入ってくる)。特に松山容子にいたっては、そのジャンルとしても戦後邦画・テレビ界での先駆けといっていい存在だ。しかもそのヒロイン活劇が縁で、原作者と結婚したってのも夢があっていい(;^_^A

 

 おっと、レトルト“カレー”ネタが、いつの間にかアクションヒロイン検証ネタになってしまったよ(;^_^A  実は今日は「レトルトカレーの日」なのであった(;^_^A