神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

5回目の「広島発ヒロインアクション記念日」に……

 昨日の「シネコン記念日」に引き続き、今日で5回目の「広島発ヒロインアクション記念日」を迎えることとなった……

 

 もうこのことに関しては何度も言及してきたけれど、去る2016年11月26日に、インディーズムービーの聖地こと横川シネマ!!にて、㐧一回目の“ヒロインアクションの祭典”である「広島発ヒロインアクションまつり2016」を開催した日だ。2006年制作の『令嬢探偵★モロボシアイ~広島より愛をこめて~』に始まる、当映画サークル・イチヱンポッポフィルムが始めた“広島発ヒロインアクションムービー”シリーズの、その時点での総決算として、東京で活躍する、同郷・同世代且つヒロインアクションムービーの盟友。稲葉司監督にも協力してもらって開催したイベントだった。その前年、同じ横川シネマ!!で、本映画祭のプレイベントとして「広島発ヒロインアクションの夕べⅣ」を開催して以来、準備を重ね、満を持してこのイベンとは実施された。

 

 

 今思えば、既に東京や広島で活躍している役者・アイドルに交じって、このイベントで広島初公開となった『学園特捜☆伍代聖羅』で“広島発ヒロインアクションムービー”の仲間入りを果たした山内美沙希さんが、今や東京のプロダクションに所属し、既にプロの現場でネット映画の主演を務めていることを知るにつけ、何とも隔世の感がある(^^)

 


 その後、この「ヒロインアクションまつり」は、広島・東京で2度も開催され、当イベントの姉妹編ともいうべき「広島発ヒロインアクションチャンピオンまつり」は、しかし、新型コロナウイルス禍で、今年に入って2度の開催延期の憂き目に遭っている。

 


 来年こそ、胸を張ってこの「広島発ヒロインアクション記念日」を素直に祝えるよう、当面は何としてでも、そしてどんな手段を講じてでも、来年のこの日までに。何とか今回の「広島発ヒロインアクションチャンピオンまつり」が無事開催できるよう尽力していきたい。そして、正規の「ヒロインアクションまつり」開催に向けても、何とか新たな“広島発ヒロインアクションムービー”作品を制作したい。


 今日はそんな“決断”の一日にしたいね(;^_^A 

4年目の「シネコン記念日」に想う

 今から3年前の今日、広島市南区段原に位置するシネコンイオンシネマ広島」において、「『女子高生戦士(JKファイター)☆英あいり』上映会×ヒロイン解体新書」なるイベントが開催された。奇しくもこの日、2017年11月26日は、拙作がシネコンのスクリーンで上映された「シネコン記念日」なのである(;^_^A 

 

 

 それまでにも、西区横川にある“聖地”横川シネマ!!での上映は果たし、既に“映画館デビュー”はしていたものの、シネコンの劇場映画公開ローテを1シアター分空けてもらって、インディーズムービーである『女子高生戦士(JKファイター)☆英あいり』を上映してもらったのは、未だに信じがたい出来事だった。勿論、これはひとえに、主演を務めたILOVEU@あいりさん率いる㈱アップトゥユーさんの尽力の賜物であるので、この場を借りて改めて深く御礼申し上げたいm(_ _)m

 

3年前の『女子高生戦士☆英あいり」舞台あいさつ(Photo by Seiichiro Ishi)

 

 それにしても、今年で映画制作にかかわってから36年目。大学を卒業してから広島で映画サークル「イチヱンポッポフィルム」を立ち上げてから35年、そして映画館・シネコン上映をはじめ、近年の大躍進の足掛かりとなった“広島発ヒロインアクションムービー”を始めてから15年の年月が経ってしまった。来年2021年は、いよいよサークル結成35周年を迎える。ここ1、2年、すっかり映画制作の方がご無沙汰になってしまっているが、この次に撮るのがヒロインアクションか、かつて撮り続けていたファンタジーになるかわからないものの、とにかくそろそろ活動を再開していかねばならないだろう。そして再び映画館やシネコンの檜舞台に立てたならば、それに勝る喜びはない。っていうか、まずはまた映画が撮りたい!、そして観ていただきたい! そうなるように、水面下で準備をしていかねば、との機運はあるんだけどね……(;^_^A

2020年日本シリーズで甦る2つの近鉄バファローズ

 あまり興味のない今シーズンの日本シリーズ。これも新型コロナウイルスの影響で、セ優勝の讀賣は、地元東京ドームではなく、オリックスフランチャイズ・京セラドーム大阪を本拠地として第1・2戦を戦った。その戦績は御存じ通り。

 

 さて、そんな讀賣のイレギュラーな状況が、図らずも現在消滅してしまったNPB球団を思い起こさせるきっかけになるとは………

 

 まず「19年ぶりの“大阪ドーム日本シリーズ」に関しては、その「19年前」とは、今は亡き大阪近鉄バファローズが、ヤクルトスワローズと戦った2001年日本シリーズのことを指す。この年はマジック1の対オリックス戦で、3点ビハインドの九回裏、満塁のチャンスに北川選手が代打逆転満塁サヨナラ“優勝”ホームランをかっ飛ばして、優勝を決めた、そんな年の日本シリーズだった。

 

 大阪近鉄バファローズ地元最終戦を観戦した際に撮った、大阪ドームの正面ロビーに飾られていた2001年優勝時のスチールと北川選手の「代打逆転満塁サヨナラ“優勝”ホームラン」のボール(本物)。

  

 そしてもう一つの「40年ぶりの本拠地以外の日本シリーズ開催」も、同様に大阪近鉄広島東洋カープと派遣を争った1980年日本シリーズを指す。その年と前年、カープと同様連覇した近鉄バファローズは、フランチャイズ日生球場がキャパ25000人、そして準フランチャイズ藤井寺球場にはその頃地域住民に配慮してナイター施設がなかったことから、当時南海ホークスフランチャイズだった大阪球場を“間借り”して日本シリーズに臨んだ。

 

 ちなみに上記の19年前も、40年前も大阪近鉄バファローズは日本一を逃し、戦後では「西日本パイレーツ」「高橋(トンボ)ユニオンズ」と共に、「一度も日本一にならないまま消滅した球団」となってしまった。もっと言うならば「パイレーツ」は僅か1年、「ユニオンズ」も単独では僅か3年で消滅した球団なんで、創立以来49年もの長きにわたり存続しながら日本一を逃がした、という点ではバファローズは唯一、ということになる。

 

 そんな大阪近鉄バファローズの“業”を背負いながら、今年の日本シリーズは開催されている……なんてね(;^_^A

 


京セラドーム大阪で日本シリーズは19年ぶり
https://news.yahoo.co.jp/articles/dfb2bb376f5ff5b7a84338ad4dc3e854e2247f6f

大林宣彦監督の遺志を継ぐ者

 今からちょうど1年前の2019年11月24日……忘れもしない、かのNTTクレドホールで、『海辺の映画館~キネマの玉手箱』ワールドプレミアに参加し、大林宣彦監督とお会いした(といっても壇上に上がった姿を生で拝見しただけだが……)日だ。それはまた、大林監督に最後に遭った日でもあった。そして、覚悟はしていたが『キネマの玉手箱』は同時に大林監督の遺作となってしまった。

 

 

 

 

 上記のように、ある程度覚悟していただけに、この時は2日前に広島市映像文化ライブラリーで上映された『異人たちとの夏』も観に行って、ゲストで登壇した大林監督と2016年8月(「全国高等学校総合文化祭広島大会」)以来の“再会”を果たした。そしてもう“時効”だろうから書くが、常盤貴子嬢もお忍びで来広・登壇も果たした。そして上記の25日を迎えたのであった。

 


 どんな時でもダンディズムとバイタリティーを醸し出していた大林監督が、すっかり「小さく」なって、車椅子で登壇する姿は痛々しくて仕方がなかったが、逆にいえば、こんな状態であの3時間にも上る破天荒な作品を撮り上げ、編集し、上映までこぎつけたことは今更ながら驚嘆に値する。そこには限りない映画に対する愛と、この上ない平和への希求が原動力になったこことは想像に難くない。それだけに、神様にはもう少し監督に“時間”を与えてほしかったと思ってしまう。そしてそんな大林監督の志を次代の映画監督たちが継承していくことの大切さを痛感している。

 

 

 それにしても、この11月には、その前の週に横川シネマ奥山和由プロデューサーのトークショーと共に『RANPO』(黛りんたろうバージョン)を観賞し、この週は上記の『異人たちとの夏』『キネマの玉手箱』と共に、その間にイオンシネマ広島で『ターミネーター:ニューフェイド』を観賞するなど、実に劇場映画観賞が相次いだ、そして多くのゲストに恵また、“濃い映画の時間”を過ごすことが出来た月だった。

 

 わき目もふらず「映画を撮ること」のみに腐心していた頃から、今は少し落ち着いて映画観賞に重きを置いているが、こうやって古今東西の映画に劇場で触れ、そんな映画界を支えてきた先人の話を興味深く拝聴することは、きっと今後の映画制作の糧になるだおう。そして再び制作の現場に戻ったときには、それこそ、おこがましいとは思いながらも、大林監督の遺志を継いで、映画創りに真摯に向き合っていきたいと考えている。命ある限り……

東京スタヂアム 運命の1971年

 既に今年度の日本シリーズが始まっているというのに、同じNPBのことでも、今回話題にするのは今からはるか50年近く前の出来事に関する私見である。

 

 先日、ベースボールマガジンの1コラムとして、張本勲氏が掲載していた記事で、1971年5月3日に起こった、半世紀経っても未だに破られるどころか追いついたことさえできていない大記録「5者連続ホームラン」に関する述懐が書かれていた。生憎この記事は有料記事なので、そのさわりしか読むことが叶わなかったが、この記録のことが気になって、ネットでいろいろ検索したら、なかなか興味深い事実をいくつか知ることが出来た。

 

張本勲コラム「私にとっても思い出深い東映の5者連続本塁打は、奇跡が続いて生まれた大記録だ」
https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=106-20201123-0

 

 この試合は、今は亡き“光の球場”こと東京スタヂアムで憲法記念の日に開催されたロッテオリオンズ東映フライヤーズのカードで、しかもその「5者連続」は延長戦での出来事だったらしい。さらに言うならば、本来この試合は6-1でオリオンズが勝利してもおかしくなかった試合で、たまたま9回表2アウトランナーなしの状態で次打者が放ったゴロで一旦ゲームセットとなったものの、ジャッジミスでセーフになってから、その後思いがけない反撃で5点を奪い、それで延長戦となった、といういわくつきの試合だったのである。それが張本氏の見出しでいう「奇跡が続いて」という部分なのだろう。

 

 10回表に代打勝ち越し満塁ホームランを打って、「5者連続」の口火を切った作道 烝選手(残りの4人は、順に大下剛史大橋穣張本勲大杉勝男

 

 さて、今回このことを検索して私が最も興味を持ったのは、そんな“劇的”な展開よりも、この「5者連続」の舞台が東京スタヂアムだった、という点だった。それというもの、この東京スタヂアムは左中間および右中間が一直線で膨らみが全くないという特殊な構造故、「本塁打量産球場」と揶揄される球場だったからだ。それによってこの「5者連続ホームラン」の記録にケチがつくわけではないけれど、「なるほどそうか」という感慨は持ってしまった。

 

 ところで、そのフェンスのふくらみがない、という特殊構造が、結果的には、当時最新だったこの東京スタヂアムを僅か11年で解体の憂き目に遭わせた遠因になってしまった。それというのも、やがて経営難に陥った東京スタヂアムはこの大記録の翌年シーズンオフにロッテ球団に球場の売却譲渡を申し入れるが、奇しくもその時、翌年からオリオンズの監督を務めることになっていた金田正一氏が、投手出身監督故、本塁打が量産される同球場をフランチャイズにすることを猛烈に反対し、もともと買取に消極的だったロッテ球団の思惑も相まって、結局交渉は決裂、結果東京スタヂアムは閉鎖され、5年後の77年に解体されてしまった。

 

 

 思えば、この東京スタヂアムの建設を推進したのは、大映社長の永田雅一氏。当時すでに邦画界は斜陽が顕在化していたが、それでも建築を推進し、そんな意味では永田社長はパシフィックリーグの大恩人なんだけれど、結局東京スタヂアムの経営悪化と同様、本社大映も、かの大記録があった71年に倒産の憂き目に遭ってしまう。同様に71年は、円谷プロの『帰ってきたウルトラマン』が放映され、その第35話「残酷!光怪獣プリズ魔」と第51話「ウルトラ5つの誓い」で同スタヂアムがロケ地になっている。いろんな意味で、この1971年は、東京スタヂアムにとって運命の年だったといえるかも知れない。

涙腺のスイッチ

 久しぶりにテレビで『ルパン三世カリオストロの城』を観た。かれこれほぼ二年ぶりの観賞だった。とはいっても観始めたのは、クライマックスの時計台のシーンから。だから既に何度も何度も何度も何度も……観てきて、そこに至るストーリーは熟知しているものの、プロセスとしては、あくまでラスト10分前からの観賞だ。そしてそれからの展開もセリフの一文一句まで諳んじることが出来るくらい理解している。もうすっかり見慣れたシーンだ。

 

 そこで考えた。ここからいきなり本作を観賞して、果たして感動できるだろうかって………これはある種の実験だ。はたしてこの世に「涙腺のスイッチ」があるか否かの実験である。で、結局のところ、不覚にもまた泣けてしまった。

 

 

 もっとも今回は、クラリスを抱きしめることができないルパンの姿より、その直後の銭形警部の「いや、奴はとんでもないものを盗んで行きました……あなたの心です」のところで図らずも泣けたんだけど(;^_^A、いずれにしてもこのラストは、まさに「涙腺のスイッチ」であることが図らずも実証できた(とはいっても私に限ってのことかもしれないが(;^_^A)。

 

  先月、『みをつくし料理帖』を観賞して、本作には王道演出による3か所の“泣かせのポイント”があったと、当ブログでも言及したが、やはり観客を気持ちよく感動させ泣かせるツボというかポイントはやはり存在するのだろう。でもそれを「人心をもてあそぶ」とは思わない。もちろんそれが邪なプロバガンダに利用されることがあってはならないが、そんな「手垢にまみれた安っぽい“泣かせ”の演出」こそ、映画やドラマを観る者の心を癒してくれるテクニックなんじゃないかなって思うよ。

 


 

カーネル・サンダース 銀幕に踊る

 『ドラキュラ対フランケンシュタイン』(1971)なる怪作を世に送り出したアル・アダムソン監督。自身が演出した、かの『ウエストサイド物語』……否、『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ』のラス・タンブリン主演の暴走族映画の出来が殊の外悪かったため、急遽ドラキュラとフランケンシュタインの怪物を登場させ、強引にホラーにした、という曰くつきな作品だ。

 

 そんなアダムソン監督が、これまた曰く付きのチャールズ・マンソン一味(シャロンテート殺害事件)のコミューン・スパーン牧場で撮った、Z級の暴走族映画『Hell's Bloody Devils』(1970)に、あの「ケンタッキー・フライド・チキン」の“カーネルおじさん”が出演しているらしい。それもあの人形ではなく、正真正銘、生身のカーネル・サンダースその人である。

 

 

 どうもこの出演劇は、制作予算を圧縮するために、カーネルを出演させる代わりに、スタッフキャストにフライドチキンを提供する、というタイアップだったようである。そんな記事を、今は亡き映画秘宝ムックの「エド・ウッドとサイテー映画の世界」の記事で読んだことがあった。

 

 というわけで、今日はフライドチキンの日らしい(;^_^A

「緑のおばさん」は「ウルトラの母」!!(;^_^A

 昨日19日は「緑のおばさんの日」だったんだそうで……一日遅れながらこのネタで……(;^_^A

 

 「緑のおばさん」といえば、何といってもペギー葉山!(;^_^A  『ウルトラマンタロウ』で、主人公の東光太郎を陰で支える「緑のおばさん」で出演していた。そして彼女の正体jは、なんと「ウルトラの母」!!  って同世代の方にとってはサプライズでも何でもないだけどねヾ(- -;)

 

 

 

 それにしても、ウルトラシリーズ初の“女ウルトラマン”が“熟女”(失礼!ヾ(- -;))だったとは………! その後同シリーズの女ウルトラマンの登場は。7年後の『ウルトラマン80』における「ユリアン」まで待つことになる。ちなみにこちらの方は若き日の萩原佐代子嬢が務めていたので、“熟女”ではなかったなぁ……ヾ(- -;)

 

 ところで、件の「ウルトラの母」は実践にも参加するが、当時女性のスーツアクターはいなかったらしく、着ぐるみに入っていたのは男性のスーツアクターで、その演技指導には苦慮した云々の記事を、以前何かで読んだことがある。また『ウルトラマンタロウ』撮影開始当初は「ウルトラの母」の着ぐるみ完成が間に合わず、苦肉の策として、ウルトラマンの着ぐるみを改造して、撮影もシルエットぽくしかも魚眼レンズによるデフォルメした映像で、何とか誤魔化して撮ったそうだ。

 

こちらがその急ごしらえ映像

 

 さて、本来の「緑のおばさん」に目を向けると、日常で「おばさん」という呼称がためらわれるようになってきた昨今、そして女性の社会進出が顕在化してきた昨今においては余暇を利用して交通安全にかかわる女性の数は極めて少なくなったようで、この「緑のおばさん」という呼称そのものも半ば“死語”と化しているような気がする。そんな「緑のおばさん」に取って代わったのが、俗にいう「シルバーのボランティア」というとこになるのだろう。

広島カープの赤と緑

 別に赤い色が好きというわけではないけど、長年応援している広島東洋カープの影響か、赤い色を身につけている人を見ると、勝手に仲間意識が芽生えてしまう。

 

 確か、埼玉西武ライオンズが、破竹の連覇を続けてきたあのスカイブルーの野球帽になかなか戻せない(期間限定で旧ユニフォームに戻るときを除く)理由の一つに、スカイブルーでは大人のファンがかぶりにくい、というのがあったとどこかで読んだことがある。それでいうと、件のカープの赤帽などその最たるものだ。実際子供の頃、急にカープの帽子が赤に変わった時には面食らった詩、あの向こうっ気の強かった故・衣笠祥雄氏などは、75年春のキャンプでは敢えて前年まで使用した紺のヘルメットをかぶり通していたことが、当時の記録フィルムでうかがえる。もっとも、今となってはその赤が女性に受けて、それが“カープ女子”を生む原動力に一つになっているらしい。それに、その後赤は「闘志の色」(と当時赤ヘルを導入したジョー・ルーツ監督は考えていた)というのが定着したから、もうカープファンで「赤」を身につけることには何の抵抗もなくなったようだ。ただ、球場でもユニフォームは身につけているものの、赤帽までかぶっている男性は女性と比べて圧倒的に少ない。

 

 

 それとカープを巡る色関係をもう一つ。惜しくも数年前に解体されてしまった旧広島市民球場。解体前に何度も全国放送などで映し出された旧市民球場は、全体がアイボリーに塗装されていた。しかし、初優勝した昭和50年代辺りまでは、緑色の球場だった。奇しくも、先日やっとDVDで手に入れた日活ムードアクション『夜霧の慕情』で、市民球場のネット裏席でやくざ同士の麻薬の取引が行らわれるシーンがあるんだけれど、その際、懐かしい緑色時代の市民球場の正面が映し出されていた。とても懐かしかったなぁ(;^_^A

NPB 今年も終戦……

 このネタ自体、既に遅きに失した感があるが、先週末に行われたパシフィックオンリーのクライマックスは、大方の予想通り、マリーンズの2連敗で幕を閉じた。まあ、そもそも期待はしていなかったんで、用事もあって試合は観戦せず(出来ず)、ネットで試合結果を知った次第だった。やっぱり直近の歴史的大失速がそのまま表れたような、先取点→でも逆転→なすすべなく敗退を繰り返してしまった。あえなく、ジ・エンドである( ノД`)

 

【ロッテ】10年ぶり下克上ならず…藤原、安田が猛打 来季へ収穫
https://news.yahoo.co.jp/articles/de7f633f21371fadaa5afa1469fbba55d2dd9715

 

 

 もっとも、セントラル(そして贔屓のカープ)の凋落ぶりで、本来ならばもっと前で既に“ジ・エンド”だったはずのNPBを、マリーンズの首位にゲーム差なしまで追いつく健闘ぶりで、その後しばらく楽しませてもらえたのはありがたかったなぁ……それにしても、変則的な日程だっただけに、回チークが勢いに乗ってゲリラ的に勝利(優勝)をもぎ取るんじゃないか、って期待したシーズンだったが、結局、財力と選手層に裏打ちされたチームが勝ちあがってしまったよ。


 まあ、いずれにしても、自分の中では「終戦」を迎えてしまったので、しばらくは、要はまた暖かくなる春まで、こっちの方は“冬眠”ということになるだろう( ノД`)  まあ、そんな中、気になるのは個人タイトルや選手の去就、ってことになる。

 

 

 過日、母校の後輩にあたる日ハム有原投手のポスティングの可能性について言及したが、他にも、同じく母校OBの阪神・上本の退団という気になる話題もここに来て入ってきた。彼は2003年選抜優勝の立役者でもあっただけに、その去就が心配だ。また退団という話ではないが、同じく讀賣の小林の最近のぞんざいな扱われ方も気になる。いっそ他球団にトレードされれば、熱烈応援するのにな(;^_^A

 

 それとは別に、今シーズン、筒香なき後のベイスターズの4番に座った、これもOBの佐野が、見事首位打者に輝いたのも嬉しい話題だったよ。

 

 カープネタでいえば、河田コーチの復帰が一番の朗報。現在のカープの凋落の一大要素が、琢朗・河田両コーチの退団だと思っているので、今回の復帰でうまく機能すれば、来年は少しはましになるだろう。後は無事森下が新人王を獲れるかを、期待と不安を持って見守っている。何といっても記者の投票という、極めて主観的な審査で決まるからだ。いくらチームが低迷したからといって、流石にこの輝かしい成績で落選はないと思うけど………

 

 まあ、何はともあれ、しばらくは「野球」のない生活がしばし始まる。今年の高校野球春季大会がどうなっていて、且つ来春のセンバツが開催されるかも極めて怪しい状況ではあるが、それでも現在の母校野球部の動向は気になるところだ。